My history of soccer life. <vol.2>

  • toshi
    2008年05月11日 01:32 visibility56


http://www.youtube.com/watch?v=HIFXThzIz18&feature=related


<When a high school student>
プロを夢見、S級ライセンスを持つ監督がいる高校に進学。
中学時代に周りがハイレベルだったため、入部してもついていけた。

初めての練習試合。
監督からトップ下を命じられる。
努力をしていれば、必ず分かってくれる人がいるんだと感じた。
ゴールもアシストもできなかったけど、のびのびとプレーでき、爽快感があった。

次の試合、10番のユニフォームをわたされた。

しかし、また、歯車が狂い始める。
毎晩、練習が終わっても自主練をしていた体が、ついに悲鳴をあげた。
両足の疲労骨折とオスグッドの悪化。
歩くこともままならず、走ることも蹴ることもできず。

そして、チームメートからのいじめ。

全てに絶望し、チームを去った。
サッカーへの大きな愛情は、なくなったと思っていた。




















部活で汗を流す友達や、かつてのチームメートを見て、心が騒いだ。
練習試合があれば、ひそかに見守った。
ボールがころがっていれば、自然とリフティングしていた。

サッカーが、やっぱり好きだった。

遊ぶ日々に虚しさを感じた自分は、社会人チームへ。
幸いにも、入ってすぐに左SHを任され、チームも1部リーグに。
しかし、チーム崩壊により、解散。

また、行き場をなくしてしまう。

サッカーへの愛情だけを秘めたまま。













<When a JCFL student>
友人と学校に願い出て、チームを創設。
後の、F.C.cosicosiとなる。
そして、埼玉の社会人チーム、フルミーネの一員へ。

フルミーネではいきなり、FWとトップ下を任されるも、1年間はゴールをすることができず、苦しむ。





一方、cosicosiでは3〜4人しか集まらず、絶望しつつ1年間を過ごす。
しかし、2年目からチームメートも増え、初めて出場した大会で3位に。
ユニフォームもない、ポジションも確定していない状態だったけど、前進が感じられた。


2年、3年と経ち、20名以上が所属してチーム力も充実。
自分自身も、右サイドでのプレーが形として身に付き始め、自信を深め始める。
そして、読売ランドの大会で準優勝に。
思えば、一番良かった試合だったのかもしれない。




パスはくれないけど香港の頼れるFW、Roger。
CKであわせれば、ほぼ確実にゴールをしてくれた。
ボランチなのにトップ下になっちゃうけど頼れるゲームメーカー、ドリモグ。
時折突っ走るけど、必ず見ていてくれて最高のボールをくれた。
プッツンすることもあるけどボールを持たせたら安心できるハリボー。
タイプが似ている分、動きがわかってやってて楽しい。
ベッカムぽいけど明らかにボランチタイプなBo−ya。
ピンチの時にはボールを奪取してくれて頼りになる。
そして、常にチームを陰で支えてくれたカズとゴンのような存在、ジョルジとやじはじめ。
両サイドバックとして、チームの中でも本当に陰で働いてくれた功労者たち。

それぞれが、良い部分を出していた大会だと思う。












個人的にも、外国人チームの助っ人として参加した試合でゴールを決めたりアシストするなどし、体もメンタルも良い状態になりつつあった。


悲しいかな、そんなチームも、学校の卒業や自身の忙しさによりチーム運営がおろそかに。
メンバーも激減し、集まることもままならなくなり・・・。


フルミーネでは、3部リーグで優勝、2部で3位に。
チームにも慣れ、ゴールやアシストも決めるようになり、スタメンに恥じないプレーができるように。

そして、チームは1部リーグへ。
しかし、チーム力の圧倒的な差で、最下位。

そして、チーム崩壊の危機に・・・。






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