ジーコ時代の日本代表を振り返る(その1)
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ラスタマン
2006年07月09日 13:36 visibility142
川淵キャプテンのオシム発言の影響、というよりその発言にマスコミが踊らされてしまったため、2002年から2006年までのジーコ時代の日本代表の戦いについて殆ど総括がなされないまま、だらだらと時が過ぎてしまっている。
とりわけ解せないのがサッカーマガジンなどの専門誌ですら筆が鈍っており、ジーコを評価しているのか、していないのかよく理解できない記事が目立つ。もちろんジーコにも評価できる部分とできない部分があり、意見、見解が多面的になされるのはWelcomeであるが、では「総括するとどうだったのか?」ということをしておかないと進歩がない。
特にジーコ時代の日本代表は日本サッカー史上でも類まれな才能を持つ選手が脂がのった時期でもあり、しっかり総括しておかないと後々悪い影響が残ってしまう。ドイツでの代表の惨敗の余韻が消えない中での作業なのでつらいことではあるが、気を確かに進めて行きたい。
1.ジーコの不可解な選手選考
(1)ヨーロッパ組偏重起用
最近出版された専門誌で小笠原も言っているが、ジーコはヨーロッパ組偏重の選手選考をしてきた。「途中からそんなことはなくなった」という意見もあろうが、その途中まで行き着くのに年単位の時間がかかっており、相当な時間的な無駄があった。
ジーコ本人も途中から自分の過ちに気づいたのだろうが、ドイツW杯予選のアウェイのシンガポール戦など2−1で勝ったからよかったものの、疲れ果てたヨーロッパ組を先発に使い危うく弱小国に敗れるところだった。この一戦だけを見ても代表監督の資質に大きな疑問符がついたのだが、アジアというレベルの低い舞台で結果を一応出し続けたためジーコはその後も采配を取ることになる。
(2)一部選手の偏愛・寵愛
代表で二度とその姿を見たくない選手にサントスがいる。 判断の遅さ、悪さ。ディフェンスセンス0(ゼロ)。手抜き・さぼり。抜けないドリブル。持ちすぎ。審判への不要な抗議・文句。うぬぼれ。
サッカー選手としてありとあらゆる悪い要素を4年間撒き散らし続けていたのが彼だった。しかし、ジーコに寵愛し続けられドイツでも3戦全てにフル出場してしまった。(ジーコのおかげで彼は代表としての出場試合数もトップ10入りしてしまった。井原やカズと一緒に彼の名前がトップ10にあるのは許せない。)
サントスの起用について聞かれジーコは「Jリーグにはいい左サイドにいい選手がいない」との回答をしたことがあるが、本当にそうなのか?そもそもジーコはそんなこと言えるだけJリーグに足を運んでいたのか?(これについては追って詳述する) ジーコの不可解な選手起用の中でも最も解せなったのがこのサントスの起用であった。(今でも解せないが)
(3)ドイツでの23人の選考の失敗
23人の選考については戦術、体調、好み、など様々な要素がからむので「ベストの23人」を言い当てるのは不可能に近い。しかしジーコの選んだ23人についてこの2点だけは指摘しておきたい。
�次世代選手の起用なし これは将来に非常なる禍根を残そう。2010年、いや2014年まで悪い影響が残るかもしれない。第3GKは土肥でなく、若手(例えば大分の西川)、またMFには遠藤でなく例えば長谷部や松井、を連れて行くべきでなかったか?いすれにせよ、1990年代初頭より切れなかった代表の流れがジーコによって断ち切られてしまったことは間違いない。
�高さ・強さのあるディフェンダーの起用 オーストラリア戦の時にはからずもDFラインの弱さが露呈してしまったが、やはり松田やトゥーリオは起用しておくべきだったろう(精神的な強さも含め)。この二人は坪井などよりも余程頑強であったろう(あんな場面の足をつるような選手は二度と代表にはいらない)。
田中の代役として茂庭が選考された時彼がハワイにいたのには驚いたが、24人目、25人目になりうる選手がバカンスに出かけているのは本人の責任大ではあるが、そのような緊張感のなさ、選手のあきらめ、を助長したことはジーコにも責任があるのである。 (続く)
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