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生きてこそ�
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ヒデ
2007年05月11日 12:58 visibility25
幸い、親戚も、親しい人も皆訪れていた。ベットの周りには妻、親、子供達、兄弟で囲まれていた。
一番最後に投与した強心剤の効果もむなしく、心拍数は下がっていた。機械のアラーム音がうるさいくらいに鳴り響く病室。そして泣き声。そんななかでついに心拍数が0の表示を映し出した。その瞬間、悲鳴、叫び声が病室を覆った。「お父さん死なないで、逝かないで、もどって来て」と泣き叫ぶ妻の姿がいたたまれなかった。昨日まで想像もしていなかったような光景が目の前にある。はっきり言って寝ぼけているような状態であった。
医師がかけより、必死の心臓マッサージがはじまった。その間、泣き叫んでいた声がぴたりと止まり、皆が医師のその姿と、父の姿をじっとだまって見ていた。
私も涙が止まらなかった。なんでこういう時に涙がでるのかわからない。悲しいとか、寂しいとかの感情ではなく、人間こういう時は本能で泣くようにできているのだと思った。ただひたすらに私は心の中で御礼を義理父に言っていた。ここにいる誰しもがもう心臓マッサージで戻ってくるとは思っていなかったろう。だけど医師は30分もかわるがわるマッサージをしてくれた。そして4/19 9:27 医師の口から死亡という言葉が我々に伝えられたのである。義理母も医師たちが懸命に蘇生をしてくれた姿を見て、あきらめ、御礼を言い、その言葉を受け入れた。そして、妻を含め皆、まだ暖かい義理父に触れながらまた泣き崩れてしまった。
妻の肩をささえるとまた泣き出してしまった。「お父さんが死んじゃった」と、あまえるように私の胸で泣いた。やはり長女で毅然としていたのであろう、私のところで感情をあらわにした。こういうとき、慰めることなんてとうていできないものだと実感した。
皆が言ったその場面の言葉を一つ一つ覚えている。本当に悲しすぎる言葉ばかりであった。
私もひとしきり涙を流した後、やはり自分の真実の親でない分、どこか余裕があるのか、これからのことを考え出していた。
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