原監督の采配総括(その2)

大変遅れましたが,10/18の日記の続編です.

2009年の完璧な成績でシーズンを終えた原監督でしたが,2009年オフに投手コーチとして信頼していた尾花さんが原監督を裏切る形で退団して横浜の監督になります.この事でコーチが信頼出来なくなったのか、2009年の成績で自信を持ったためなのか,この頃から原さんが前に出るケースが増えてきたように思えます.

2010年のシーズンは,2009年の投の立役者であった3人の外国人投手:グライシンガー(13勝→0勝),ゴンザレス(15勝→5勝),オビスポ(6勝→2勝)が軒並み不調で3位に終わります.原さんは,2010年オフに村田(当時横浜)のFAでの獲得を清武GMに訴えたようですが,外部補強は選手を育成する環境を作るための一時的な措置と考えていた清武GMはこれを拒否.蜜月だった清武GMと原監督の間も怪しくなります.

2011年は,その年から導入された(飛ばない)統一球に打者が苦しんで本塁打が激減し(226本→108本),小笠原・ラミレスにも衰えが認められて前年に引き続いて巨人は優勝を逃し中日が優勝します.どうも,この時に,原さんの「(中日式)スモールボール」指向が決定的になったようですね.飛ばないボールで本塁打(長打)はあてにならないと思い知らされた(思い込んだ)ためだと思います.

 2年連続優勝を逃した上に,2011年オフの騒動→清武GM追放で常にも増して優勝を義務づけられた巨人は,FA等で,杉内投手・ホールトン投手・村田内野手を獲得するという大型補強を行います.小笠原・ラミレスの代わりに阿部を中心にしてチームを作り直し,クリーンアップにもバントをさせるやりかたで,2012年の巨人は交流戦・セリーグ・日本シリーズを制します.

 2013年もセリーグを大差で制した巨人でしたが,日本シリーズでは楽天に惜敗します.それで,2013年オフに片岡・大竹という中堅選手のFA補強を巨人は行いました.

 2014年のシーズンは,片岡・大竹が期待したほどの活躍ができず,阿部・村田・内海・杉内には衰えが見え,次のリーダーの筈の長野・坂本も不振な状況で突出した成績を残したのは菅野だけでした.それでも何とかリーグ優勝はしましたが,その菅野を故障で欠いた阪神とのCSでは,阪神の外国人選手(マートン・ゴメス・メッセンジャー・呉)の力に圧倒されて4連敗と惨敗します.スモールボールにこだわりすぎて,個人のパワーに圧倒される姿は,2008年北京オリンピックで韓国に惨敗した日本代表を見るようでした.

 貧打でCSに負けたことが明らかになった2014年オフの選択肢としては,衰えた阿部・村田の復活にかけるか,新たに強打の新外国人を取るかの2つがありました.原監督は,前者の選択をとり,阿部を1塁に完全コンバートします(結果としてこれが失敗だったことは明らかです).すでに補強費も底をついたためか,巨人はFAで,相川・金城という控えレベルのベテラン選手を取ります.中堅選手どころか控えレベルのベテラン選手をFAで取るということは,若手野手育成=長期戦略を放棄したことを意味しました.

 そして2015年のシーズンでは,阿部・村田の打棒はさらに低迷しました.あわてて獲得したフランシスコは1塁守備がサッパリですぐに二軍落ち.長野・坂本の不振も続いて,さらにスモールボールに走りましたが,結果としてそれはさらなる打撃陣の弱体化(小粒化)につながり,投手陣のがんばりにもかかわらず巨人は二位に終わりました.

 12年間(2002-2003年,2006-2015年)の原政権のもとで,巨人は7度リーグ優勝し3度日本一になりました.この成績は立派なものです.他方,育成においては,投手に関して,内海・越智・マイコラスをそだてたものの,野手はほとんど育てられませんでした.7度の優勝の中心野手は,松井・高橋由・小笠原・ラミレス・阿部・村田といったところですが,彼らはいずれも原監督が育てた選手ではありません.次の中心選手と期待した長野・坂本も伸び悩みました.結果として言えることは,原監督は,勝てる監督であり,投手も育てられるが,野手は育てられない監督であったということです.

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