☆全国中等学校野球史(29)~奈良~

奈良県で最も古い野球部は、郡山中(郡山)で明治30年に創部された。同じ頃、奈良師範でも野球部が創部され、対抗試合が行われた記録が残っている。
続いて、明治31年には畝傍中(畝傍)、34年には天理中(天理)でも創部された。
明治40年代には天理中が県下最強となり、大阪や和歌山に遠征をして試合をしている。しかし、大正3年に部員の素行不良で学校によって野球部が解散させられた。
その影響もあってか、翌大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会予選には奈良県から1校も参加していない。
大正5年の第2回大会予選から大阪が抜け、和歌山と紀和予選を開催することとなったが、奈良からは参加校がなかった。
奈良県勢が初めて予選に参加したのは、大正6年の第3回全国大会紀和予選で、奈良師範が参加した。
その後、奈良県勢は和歌山県勢の壁に阻まれ、全国大会出場に出場する機会に恵まれなかった。


初代表校
郡山中(昭和8年夏)(現・郡山)

初勝利校
郡山中(大正8年夏)(現・郡山)

最高成績
優勝

春夏通算成績
124勝109敗

最多勝利校
天理 71勝





以上です。

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