☆ 「エースをねらえ!」
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鶴丸 深志’
2011年06月19日 14:05 visibility2506
6月15日は千葉県民の日でした。
そして、2008年6月15日は、わたしが初日記を書いた日でした。(汗)
千葉県民の日と聞いても初日記の事は思い出しませんが、夏の高校野球千葉県大会の組合せが決まりましたと聞くと初日記を思い出します。
ここまでマイペースで、120%自己満足の日記を書いてこれたのも、皆様のおかげです。
深く御礼を申し上げます。
余談ですが、ラボ統合の際、野球とサッカーに登録していたわたしは、サッカーに統合されました。
そして、統合されたら、サッカー登録前に野球で書いていた日記が全て消えてなくなりました。
消えた初日記になっていましたが、いつの間にか復活していました。(笑)
皆さま、6月19日のベースボール記念日は如何お過ごしでしょうか?(1846年の今日、ニューヨークで現在の野球の基本となるルールで試合が行われ近代野球が誕生しました)
さて、本題です。
先日、Mr.blackさまが、野球マンガ「おおきく振りかぶって」の日記を書かれていました。マンガの主人公たちが通う「西浦高校」は「浦和西高校」がモデルになっているようです。文字を入れ替えた学校名にしているようですね。
このマンガの原作者・樋口アサさんはこの学校の出身のようです。
Mr.blackさまより、ちょっと見て来て下さいと指令が出ましたので、ちょっと行ってみました。
少々調べてみると、浦和西高校は1934年(昭和9年)に埼玉県立浦和第二高等女学校として開校され、1970年代まで旧第一学区においては浦和高校、浦和一女に次ぐレベルで、1980年代から1990年代頃は県内でも屈指の進学校として毎年東大合格者を輩出し、県立校では数少ない私服校として人気が高く、平成21年度の入試では、前期で約7.1倍、後期で約2.0倍と県内最高の倍率を記録したようです。
もっと調べてみると、この浦和西高校は、マンガ「エースをねらえ」のモデルにもなっていました。
原作のあらすじは、以下の通りです。
テニスの名門・西高の岡ひろみは、トッププレイヤーお蝶夫人に憧れて女子テニス部に入部。
新任のコーチの宗方にその才能を見出され、厳しい特訓の末、実力をつけていく。
男子部員の藤堂との恋に悩みながらも、テニスに打ち込むひろみ。そんなある日、宗方が突然倒れる。
不治の病に冒された宗方は、ひろみがニューヨーク遠征に旅立つ日に、「岡、エースをねらえ!」という言葉を残して息をひきとる。
宗方の死に打ちのめされるひろみだったが、宗方の親友である桂のコーチを受け、周囲のはげましによりに立ち直り、見事復活を果たした。そしてついに日本テニス協会の代表選手として世界に出ることになった。
出発の日、桂はひろみに声をかける。「岡、エースをねらえ!」と。
この話を聞いて、「おいおい、お蝶夫人が埼●県人のわけがないだろう!どうみても湘南方面だろう!」という意見も多いでしょうが、原作者・山本鈴美香さんも浦和西高校の出身のようです。
また、中公文庫コミック版9巻の冒頭に、宗方コーチの住所が「〒336 埼玉県浦和市領家6-10-○-404」と書かれているようです。当時は、湘南新宿ラインの直通運転もなく、y●m●cさまのような楽々通勤は困難であり、まして病を抱える宗方コーチが浦和から湘南方面まで遠距離通勤をしていたとは考えにくく、浦和が舞台であったと考えるのが妥当でしょう。
もっともっと調べてみると、この浦和西高校は、1956年(昭和31年)の第35回全国高等学校サッカー選手権大会決勝戦で日立一(茨城)を3-2で破り、見事に全国制覇を成し遂げ、さらに翌年も全国3位の輝かしい成績を残しています。
高校サッカーにおいて1950年代は、「浦和を制するものは全国を制す」と呼ばれた時代だったのです。
全国高校サッカー選手権埼玉県予選大会優勝校
1954年 浦和 (対 浦和西) 浦和高校は全国優勝
1955年 浦和 (対 浦和西) 浦和高校は全国優勝
1956年 浦和西 (対 浦和) 浦和西は全国優勝
1957年 浦和西 (対 浦和) 浦和西は全国ベスト3
1958年 浦和西 (対 浦和) 浦和西は全国ベスト8
以上です。
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- 事務局に通報しました。
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