☆消えた校名~ここに在りき~



 

甲子園出場経験のある都立高校は、過去にも記述しましたが、都立国立(1回)、都立城東(2回)、都立雪谷(1回)の3校です。

夏の東京大会に都立勢(当時は府立中学)が初めて参加したのは、1934年(昭和9)の第20回全国中等学校優勝野球大会東京予選だと思われます。

参加したのは、府立二中(現・都立立川)、府立農林(閉校)、府立化学工業(閉校)の3校と思われます。

この年から、加盟校をAクラスとBクラスに分け、まずはBクラスのみで1次予選を行い、上位に進んだ数校とAクラスで2次予選を行う形式に変更されたと思われます。

3校とも1次予選からの出場となり、府立農林は保善工を6-2、府立化学工業は大成中を8-6で破り、1次予選の2回戦へ駒を進めた。

1次予選の2回戦では、府立二中は郁文館中を11-4、府立化学工業は荏原中を13-3で破り2次予選へ駒を進めたが、府立農林は東洋商に8-3で敗れた。

2次予選の1回戦では、府立二中は明治学院中に18-9で敗れた。

一方、府立化学工業は、早稲田中を13-7で破り、続く2回戦も学習院中を8-5で破り、準々決勝進出を果たした。

準々決勝では、日大三中に7-0と敗れはしたものの、見事な戦いぶりであったと言えよう。

府立化学工業は、第22回大会、第23回大会、第26回大会においてベスト4進出も成し遂げている。

府立化学工業は戦前の東京大会において一時代を築いた、「府立の雄」であったのだろう。

 

 

 

府立化学工業(都立化学工業高校)は、1920(大正9年)に5年制の工業学校として創立、その後、都立江東工業高校と合併し都立科学技術高校が新設される形となり、2001年3月に閉校となった。 



その後、江東区にあった化学工業高校の跡地には、都立大江戸高校が新設された。


しかし、この地には間違いなく「化工」が在ったのだ。

 

 

 

 

以上です。

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