☆全国中等学校野球史(23)~岐阜~

岐阜県で野球が始まったのは古く、明治17年に岐阜中(岐阜)教師の平瀬作五郎氏が生徒に指導したのが始まりといわれている。
その後、岐阜師範、大垣中(大垣北)、岐阜農学校(岐阜農林)、東濃中(東濃)、斐太中(斐太)などでも創部された。
大正4年の第1回全国大会の東海予選(東海五県連合野球大会を予選とした)には岐阜中と斐太中の2校が参加したが、愛知県勢の圧倒的な強さに屈した。
第1回夏の大会予選に参加した岐阜中は、その後1度も欠かすことなく予選に参加し続けている。一方の斐太中は予選で大敗を喫したためか、翌大正5年年から大正9年までは参加しなくなっている。
その後も夏の予選は愛知県勢の壁に阻まれ、初の甲子園は予選のない春の選抜大会での出場となった。


初代表校
岐阜商(昭和7年春)

初勝利校
岐阜商(昭和8年春)

最高成績
優勝

春夏通算成績
134勝104敗2分

最多勝利校
県岐阜商 85勝





以上です。

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