☆全国中等学校野球史(40)~福岡~

新年明けましておめでとうございます。
昨年に引き続き、本年も極々一部の方に好評を頂いております「全国中等学校野球史シリーズ」をお送り致します。
このシリーズにより日記の数も一気に増え、何とか春の選抜大会が始まる前に日記1,000冊の名球会入りができそうです。
このシリーズが投稿されるたび、皆様にはご迷惑をお掛け致しますが、今しばらくご辛抱下さいますようお願い申し上げます。


福岡県で最初に野球部が創部されたのは中学修猷館で、明治28年である。
続いて、明治30年に中学明善、明治33年に久留米商、明治34年に中学伝習館と豊津中(育徳館)、明治35年に嘉穂中、明治37年に東筑中、明治45年に八女中と豊国中(豊国学園)で創部された。
大正4年に始まった第1回全国中等学校優勝野球大会の九州予選には8校が参加し、そのうち7校は福岡県勢であった。
決勝には久留米商と豊国中が進んだが、豊国中が棄権し、久留米商が全国大会に出場した。
大正5年の第2回全国大会九州予選には他県からの参加はなく、福岡県勢の10校が参加した。10校のうち北部からは2校、南部からは8校が参加しており、当時は南部の方が野球が盛んだったことがうかがえる。
大正8年の第5回大会には小倉中が全国大会に出場、福岡県勢として初勝利を挙げている。
最後に、福岡県は大正12年から大正15年の4年間、県知事により他県との試合が全面的に禁止され、予選に参加できなかったことも記述しておこう。


初代表校
久留米商(大正4年夏)

初勝利校
小倉中(大正8年夏)(現・小倉)

最高成績
優勝

春夏通算成績
140勝156敗

最多勝利校
小倉 27勝





以上です。

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