☆神主打法~落合博満と秋田工~

昨日の日記で、わたしはある検証を行いました。
それは、「数秒の間隔を空けて連続して日記を投稿した場合、前と後の日記ではどちらに多くの評価が入るか?」です。


わたしの予想通り、後から投稿した日記の方に多くの評価が入りました。
評価を頂いた方々には、心より御礼申し上げます。


何故、このような結果になるか、皆様はお分かりでしょうか?
理由は、日本人は新しい物が好きだからです(-_-)


 


 


前回の日記で、ロッテ時代の落合博満選手の神主打法から放たれた川崎球場右翼席への本塁打は芸術的だというような内容を記述しました。


~落合博満選手~
1953年12月、秋田県生まれ。1979年ドラフト3位でロッテ入団。
独特の「神主打法」を生み出し、優勝請負人として4球団(ロッテ→中日→巨人→日本ハム)を渡り歩く。
1981年に首位打者になると、1982年に打率.325、32本塁打、99打点で最初の三冠王を獲得。28歳での獲得は史上最年少だった。
以後、1985年・1986年にも三冠王を獲得。
特に1985年は、打率.367、本塁打52本、打点146という驚異的な記録をマーク。
1986年にも打率.360、50本塁打、116打点で2年連続50本塁打の偉業を達成する。
1987年にセリーグの中日に1対4のトレードで移って、日本人選手初の1億円プレーヤーとなる。
落合選手の神主打法は、神主がお払いをするかのように構える時に、自然体のままバットを横に寝かせてゆったりと待ち、遠心力を最大限に利用したアウトステップの打ち方で外角の球でもいとも簡単に右翼席まで運んでしまう打法である。


通算成績
打率 .311(歴代7位)
本塁打 510(歴代6位)
打点 1,564(歴代5位)
安打 2,371
首位打者 5回
本塁打王 5回
打点王 5回
三冠王3回(歴代1位)は不滅の大記録である。


落合といえば、秋田県立秋田工業高校出身です。


 


 




少々写真が違うような気もしますが、秋田工業は、秋田県の沿岸中央部に位置し、同県の県庁所在地で人口約32万人を有する秋田市にあります。
学校創立は1904年(明治37年)、野球部は1947年(昭和22年)に創部され、同年の夏の予選に初参加しました。
1947年の第29回全国中等学校優勝野球大会秋田県予選には14校が参加し、秋田工は初戦で湯沢中に13-4で敗退となり、公式戦初勝利を飾ることができませんでした。
甲子園には、春1回、夏2回出場し、通算成績は2勝3敗です。
秋田工の甲子園初勝利は、1986年(昭和61年)の第68回全国高校野球選手権大会で倉敷工を11-1で破っての勝利でした。次の試合も日南を4-0で破り16強入りし、これが同校の最高成績となっています。
しかしながら、この年の夏を最後に甲子園からは遠ざかっています。


秋田工といえば、やはりラグビーを忘れてはいけません。
全国高校ラグビーフットボール大会においては、全国1位となる優勝15回を誇り、通算成績も127勝42敗15分とこちらも全国1位の勝利数を誇っています。
高校野球に例えてわかりやすくいうと、春夏通算131勝を誇る中京大中京のような名門校です。


 


 


以上です。

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