☆甲子園出場校ぶらり散策日記〜関東で初めて甲子園出場を果した公立校〜
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鶴丸 深志’
2010年06月15日 04:36 visibility1079
国道6号を北上し、関東地方の北東部にある茨城県の南部に位置し、東京都心から45kmの距離にある龍ヶ崎市に向かいますた。
龍ヶ崎市には、個人的にも思い入れがある、竜ヶ崎一高があります。
竜ヶ崎一高は、1900年(明治33年)に創立され、県内の公立校では、土浦一、水戸一、竹園に次ぐ進学実績をもつ文武両道の名門校です。
野球部は1903年(明治36年)に創部され、春の選抜に1回、夏の選手権に9回出場し、甲子園通算成績は3勝9敗です。
最高成績は、1991年(平成3年)夏の選手権大会に出場したときのベスト16です。
竜ヶ崎一が全国大会に初めて出場したのは、竜ヶ崎中時代の1918年(大正7年)第4回全国中等学校優勝野球大会でした。
これは、早実、慶応普通部に次いで、関東では3校目となる出場で、公立校としては初の出場となりました。しかし、この大会は米騒動により中止になってしまいました。
竜ヶ崎一は、この年から5年連続出場という金字塔を打ち立てました。
竜ヶ崎一の甲子園の戦いで最も印象に残っているのは、1990年(平成2年)第72回夏の選手権大会に出場したときの二回戦、松山商業との対戦です。
この内容は過去に記述した事がありますが、松山商の太田捕手がキャッチャーフライを追いかけ、バックネットにぶつかり負傷しました。その際、竜ヶ崎一の応援席から『ファイト!太田!』の大合唱が起こりました。
試合後、松山商の太田捕手は、『自分は今まで相手を倒すこと、相手に勝つことだけを考えて野球をやっていました。でも、あの声援を聞いて、それは間違いであったと気づきました。甲子園で竜ヶ崎一高の様な素晴らしいチームと試合ができて良かったです。』というコメントをしています。
それ以来、『R』一文字のユニホームを応援しています。
※『R』は、竜ヶ崎の「R」と投手が投げる様子を真似たものです。このあたりは、Mr.blackさまがよくご存知だと思いますm(__)m
以上です。
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