劣勢な時
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RFC
2016年01月19日 13:23 visibility457
社会人及び学生アスリートの皆様こんにちは。
本日は劣勢な時、を考えてみました。
大会などの試合で、劣勢な時何を考えているか
思い出そうとしましたが
劣勢になるのは相手の方が上で、
守備に追われ、
必ず死ぬと書いて、 「必死」 です。
なのでほとんど思考は無いと思われます・・・
ここは負けたくないという強い意思を持ち続ける事以外
活路はないのでしょうか?
しかし、分析しても相手チームの方が格段に上なのは
明明白白である時、一体どうすれば?
サッカーにおいて、センターバック、
フットサルにおいて、フィクソの自分は
1VS1で負ける事は、チームの守備の敗北とも言え、
絶対に抜かれるわけにはいかないとこでやってきましたが
劣勢な時、その事だけが頭をよぎり、
更に守備的になっていたと思われます。
守備も削られ、攻撃も封じられる試合の時・・・
ここで一つ思い出すのが
真田 信繁(のぶしげ:通称 幸村)です。
彼は劣勢の戦いに身を投じ、
諦めませんでした。
敗北必死の中、凄まじい戦闘を繰り広げ
散っていきました。
本来はこれ、大河ドラマが始まる前に書きたかったんですが
遅れてしまいました。
ではちょっとゆかりの地の写真をっと
ここは真田親子が関ヶ原で敗北し、配流された和歌山県九度山にある
真田庵でございます。
門には真田家の旗印、六文銭が掘られてます!これカッコイイ!
信繁愛用の十文字槍の槍先や
望遠鏡もあります。この時代にあったんですね!
信繁直筆の手紙!! 読めねぇよ!読めねぇよ!
信繁の弁当箱!!曲線美がしぶい! 俺の弁当箱100均!!
どうやら真田家は日野家と縁があるようですな?日野さん良いな~
たわば!!これが武田家が孫子の兵法書から学んで書いた
甲陽軍鑑かっ!!!
ふむふむ、字が読めません・・・
続いてはいきなり長野県は上田城!
ここは城ですが、平地にあります。
徳川のおっちゃんが負けた腹いせに潰しましたので・・・
それにしてもでっけーカブト・・・
上田にある信繁像。勇ましい・・・
いやー真田家の領地だった上田、さすがに真田家にまつわるものが!
この時計もしぶい!! しかも気温37度!!(これRFC合宿でいきました!)
しかもですね!上田を走る原チャのナンバープレートにも
六文銭が!!!上田かっこよすぎ!
つづいて、近畿に帰ってきます。
大阪は安井神社。
ここは信繁の最後を迎えたところです・・・
言葉もでません
いつ見ても、いつ思い出しても
その生き様は私の心を・・・
どういった人物かと言いますと
一言だと
「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」
日本一強いということです。
更にどれだけ強いかと言うと
九州は薩摩の大名、島津忠恒より、
「真田は日本一の兵、古の物語にもこれなき由」
古い昔話、英雄譚も及ばないと評されています。
これは黒田如水(官兵衛)の息子、黒田長政が
信繁最後の戦いの大阪夏の陣を実際に見て、
屏風にしたものです。
真ん中の赤い集団が真田信繁の軍です。
長政もこの戦いの真田をほめています。
徳川家康の配下を次々と撤退させ、
3度も徳川家康の本陣に突撃し、
徳川旗本を蹂躙。
家康は死を覚悟し、切腹しようとしたほどであった。
しかし、わずか5000ほどの兵で徳川15万に突撃した為、
消耗し、最後は疲労で動けないところを討ち取られた。
徳川は再三、真田を引き入れようとしたが
信繁は断って、滅びかけの豊臣家に忠義を誓った。
信繁の父、昌幸は真田家存続の為に
様々な大名にしたがったが
信繁は不器用な道を選んだ。
死を覚悟して家族と離縁するが
大阪夏の陣の真田の戦いを見て、多くの敵味方から
称賛され、けっきょくその家族も
大事にされ、真田信繁の血は引き継がれた。
(娘が伊達政宗の重臣、片倉重長(小十郎)の嫁となる)
兄の信之も徳川にいるから真田家はついえる事はなく、
これも父の昌幸の策であったが
信繁はその生き様で父の策を越えた。
私も、老いたが
劣勢の時には真田の生き様を思い出し、
負け試合でも諦めずに全力を尽くしたいと思います。
ちなみに徳川勢のやる気がなかったという人がいますが
戦後の事を考え、最後となる戦いなので
残念ながら戦場にいる者は必死です。
あとこの戦いで忘れてはいけないのが
毛利勝永(かつなが)です。
真田の後詰めとして出陣し、わずかな兵で
徳川軍の部隊を壊滅させていき、
数多もの武将に手傷を負わせます。
毛利勝永のwiki見てくださいびっくりしますよ。
では長々と失礼しました。
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- 事務局に通報しました。
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