中学校の教育現状③  ~現実と苦悩~



 

現在、私なりに取り組んでいる『サッカー』という社会性の強いスポーツ(部活動)における環境整備の必然性と準備~検討は、『教育委員会』という行政機関が行うべき自治体の健全化と、根本的に考え方は変わらないのではないか?と思います。


 


























































































 




学校教育の役割となると、「衣住食」という生活面~学習(勉学・社会)~運動・健康~食育~道徳倫理などなど、それまでの歴史やしがらみ、法律や規則、報告書や伺い書などの書類整理、複雑な部分や障害が多様にあるにしろ、教育の主役は“受ける側”である『未来ある子どもたち』に変わりありません。

 

 

「教育というサービス」を“受ける側”にとっても、“与える側”にとっても、バランスのとれた良い環境を整えることが、先の日記で述べたように大事なポイントだと思います。

 

 

この役割を担い、決定権を持っている「教育委員会」が、時間をかけて論議を重ね、適切な人数とバランスを検討し、計画的に調整を図り、タイミング良く変革と対処を講じていく機能を果たしているかどうか?が、その地域の教育環境を大きく左右し、創り出していることは間違いありません。

 

 

サッカーという分野で見てきた「長洲町の現状」を先の議会での一般質問などを例にあげて述べていますが、その環境を創り出している現実に行政は目を背けずに、適切な対応を決断していただきたいと願うばかりです…



皆さんの地域では、どうでしょうか?



素晴らしい環境が整っている地域もあれば、長洲町に似た地域もあるのではないかと思います。

 

 


 

必要なことは「教育というサービス」の“受ける側”と“与える側”双方の、「心と時間」に余裕のある適度なスペースとバランスを整えてあげることだと考えます。

 

 

今の長洲町の教育にとっては、「人と設備」に適度なスペースとバランスを持たせる『統廃合によるバランス調整』が最善な対応ではないかと、何年も前から感じています。

 

 

これまでの町が行なってきた後手に回っている結果(日記②参照)を評価するならば、サッカーで言う「実行のミス」と「判断のミス」が多過ぎる(というかほとんど)ように思えます。

 

 

 

では、崩れかけているその長洲町の中学校のバランスについて、現状をまとめます。

 








































































 

3クラスの生徒数がまだ維持できている腹栄中学校の場合、必須科目に対する専門教師が確保されており、最低限の教育と経験を与える環境が残されていますが、全学年が2クラスとなっている長洲中学校は「カタハイ(片肺)」と言われる、いわゆる“掛け持ち教育”を行ない、どうにかバランスを補っているのが実状です。しかも、数年後には腹栄中も長洲中同様の水準になってしまいます。

 


このような現状にあっても現場の先生方の努力で、質のバランスはどうにか補えていますが、正直現在の負担状況では向上することは難しいのではないでしょうか‥先生に余裕がない状況ですからバランスは限界に近づき、いつかオーバーフローします。

 

 

 

「学校が悲鳴を上げています…」

 

 

これは、私がサッカー部の外部コーチを引き受けた頃、当時の顧問が語ってくれた教育環境の問題に対する嘆きでした。その顧問は、転任されてきた初年度からクラス数が③→②に移行し、ついには全学年が2クラスとなった「教育現場の退化」を肌で感じてきた経験を表現した一言だと思います。

 

 

私が外部コーチを引き受けた年が、全学年が2クラスとなった年度だったそうです。

 

 

「えっ‥何でそうなるの?」

「子どもの数が減った分、先生も楽になるし子どもにとっても教育が行き届いて良いじゃないか?」と思われる人もいるでしょう…当時の私も何も知らず、同じく安易に考えていました。

 

 

しかし、現実は違うのです…

生徒数が減少し、クラスが減るということは、当然教員の必要数(規定数)も減ることになります。教員数も必須科目に対する一定数をまかなえなくなってしまった場合、掛け持ちで補うか?もしくは、行政が予算確保して教員を補填採用するしかないでしょう。

 

 

しかし、後者のような規定以上の対処を財政状況の厳しい現在の行政(日記6参照)に求めても、行えるとは到底思えません。

 

 

よって、技術を専攻する先生が数学を教えたり、家庭科を専攻する先生が音楽を教えたりと、先生が自分の専門とする分野でない科目を充てがわれ、カリキュラムを補充している状況が生まれるのです。

 

 

つまりは、専門的教育を十分に受けられない環境が作り上げられ、カリキュラムを補填する教員の負担は倍増してしまっているのです。

 

 

その環境を与えられた教育現場の先生たちは、苦しい環境の中でもより良い環境を子どもたちに与えるため、現場で頑張るしかないのです。

 








































































 


以前見たテレビでは“先生は疲れている”と題し、教師の精神的疲労から心身ともにダメージを受け、ついには入院に至ってしまうケースが増えているという問題が取り沙汰されていました。

 

 

現代っ子たちの問題行動は多種多様化し、学校では報告書など上からの書類整理に奔走され、指導能力向上の研修だの地域懇談会だの、家に仕事を持ち帰り、夜も保護者からの電話対応、その先生自身も病気になってしまったと語られていました。

 

 

子どもの問題行動ばかりでなく、保護者の欠落した道徳感が起こす問題行動も多種多様化(この影響が子どもにも反映?)しており、その対応に追われながら限りなくある雑用をこなす日々…一生懸命取り組んでいる真面目な先生ほど、病気に陥りやすいと専門家が分析していました。

 

 

見ていたテレビでは「半数近い人が教師を辞めたい」と思っているという残念な調査結果もあり、環境が人をダメにしてしまっている状況に驚きました。

 



































































 

教師という職業をやりたくて「教員」という道を選んだ人の疲れきった結果が、この現状となると‥こんな気持ちに余裕がない状況で、辞めたいと思いながら教壇(凶壇)に立つ先生に、感受性豊かな子どもたちに何を教えることができるのだろうか?と考えさせられます…

 

 

 

次からは、更に「国が進めてきた対策」と「臨時採用教師」について触れ、最後に「長洲町の行政現状」を取り上げて“教育の現実”というテーマは終えたいと思います。

 

 

かなりシリアスな内容になっているので、他の方の面白い日記で気晴らししながら‥最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

 

 

みなさんの近くの学校にも、同じような問題をかかえているところがあるんじゃないでしょうか?





chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。