「サワムラ」は野球人にとって・・・沢村栄治の伝説。(その3)
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Miya
2010年05月22日 14:00 visibility1770
「サワムラ」は野球人にとって・・・沢村栄治の伝説。(その1)
https://labola.jp/blog/user/62893/6711673
「サワムラ」は野球人にとって・・・沢村栄治の伝説。(その2)
https://labola.jp/blog/user/62893/6647617
沢村は1934年、夏の高校野球全国大会終了後、
京都商業を中退して、
読売新聞社主催による日米野球の全日本チームに参戦する。
この決断が、
沢村の人生を変えた。
この時、プロ野球はまだ日本に存在していなかった。
当時の花形は、学生野球だった。
東京6大学リーグを中心 とする学生野球全盛期である。
京都商時代の沢村の目標は、
当時立命館大で快速球を謳われた青柴憲一だった。
きっと沢村も、神宮のマウンドに立ち、
満員の観客の中で活躍することに憧れていただろう。
のちに沢村はこう語っている。
「おれ、本当は、
大学を出て、子どもたちに野球を教えたかったんです」
それが、沢村にとって終生の「夢」であった。
だからこそ、
全日本チームに誘われた時、
沢村は即答できなかった。
迷った。
そして、ある日、
父にこう告げる。
(大学進学でも全日本入りでも)
「どっちゃでもええよ…」
17歳の決断であった。
(この項つづく)
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