青森放浪記〜幻の新球場

  • 仲本
    2016年07月20日 11:29 visibility1029
さて、青森篇はまず球場ネタから。

空席と値段の都合で1日目の青森着が昼の2時前。ちょうど今期間限定で新青森駅まで行く空港バスが走っているので、そちらに乗ることにした。



宿は青森駅の近くにとっているので新青森駅には特に用事はないが、この路線は途中三内丸山遺跡に停車する(青森駅行きは別ルートなので停車しない)。



別に考古学ファンでもないし、発掘調査が始まったのは1992年というから、学校で習うというよりもニュースで見た世代にあたる。ちょうど無料のボランティアガイドが案内してくれる時間にあたっていたのでついていくことにした。ツアー客はいないようで、参加者は総勢10名程度だった。







広場に復元された竪穴住居などが点在している。三連休の初日とはいえ午後の遅い時間で人影はまばらだ。ガイドさんは手慣れた感じで誠実に案内してくれる。ゆっくり歩いて約一時間。時間の都合がある方は途中で抜けてくださいね、ということだった。







三内丸山といえばこの復元遺構がシンボルになっている。本来は立っている柱はもっと高かったのではないか、とか、階層のように見える部分はなく、柱を立てていただけなのではないか、とか、この姿が確定というわけではない。物見やぐらのように見てしまいがちだが、太陽の高さや位置を確認するための装置だというのが有力だとのこと。



で、唐突だが、ガイドさんの話では、このあたりがバックネット裏にあたるという。



そもそもここが発掘調査されることになったきっかけは、県営の野球場を新設するためだった。隣接地に運動公園があり、1967年に県営球場ができた。老朽化というにはちと早いような気もするが、当時は建設業に勢いがあったと見えて、新しいの作って古いやつは壊そうぜ、という話になったらしい。



ただ、昔の文献にも「このあたりは古代から人が住んでいて、掘ればなにかしら出てくる」という記述が残っていて、試しに掘っとくか、ということになった。当時の写真では調査の終わった内野スタンドの部分の基礎工事が進んでいたが、果たして大構築物の遺構らしきものが出てきた。時の知事は球場建設差し止めを決定。とかく「動き出したら止まらない」公共事業にしては異例の判断だった。







その後は1997年に国史跡、2000年には国特別史跡に格上げとなり、2002年には写真のような出土品を展示するエントランス・ホールができ、とトントン拍子に話が進んだ。この施設は入場無料。よほど国から補助が出ているのだろうか。















































(センターからバックネット方向を見たイメージ?)

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