フットサルをする治療家、フットサルとの出会い2
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治療家個サル/運営部さいた先生
2022年05月15日 20:55 visibility263
フットサルを本格的に知るキッカケになるのは2005年、鍼灸の道を目指して日本工学院八王子専門学校に入学して2年目のこと。
1つ上のサッカー部の先輩でもあるジーコ先輩(吉田こうじ)がフットサル専門誌「フットサルナビ」をくれた事がキッカケになる。
当時、印象にあるのがプレデター、カスカベウ、ボツワナ、シャークスである。
特にフットサル独特のボールコントロールとパスワークを得意としていたプレデターが印象的でした。
勉強するフリをして学校の図書館のPCでひたすらプレデターの動画をネットから集めて見ていました。
今みたいにYouTubeで綺麗な映像が見れる時代じゃなかったので検索に引っかかった動画やフットサルナビに付いてきていたDVDは擦り切れるくらい見ていました。
サッカー⚽️しか知らなかったため、2人の関係、ピヴォ当て、ヘドンド、エイト、それだけでも真新しい気持ちで見ていて、なんでこのパスワークが必要なんだろう?
ケブラってクサビじゃん!
閃きとかだせなくなりそう、、、とフットサルに混乱な気持ちで見ていました。
その時期に学校の寮の近くにフォレストフットサルクラブというフットサル施設があってそこで「個サル」というゲーム会が開催しているのを知り、鍼灸科の友達を誘って参加した事が大きなキッカケとなりました。
サッカー部が無い日、木曜日だったかな?
そこは個サルに通いましたね。
楽しかったですよ。そりゃもう。
今より動ける身体でバンバン、ドリブルしてシュート決めちゃってて(笑)
全然今のプレイスタイルからは想像つかないくらい自由に楽しんでました。
そのせいか、プレデターで見た映像のようにはならないので、あれは何がどうなっているのか次第に気になるようになっていきました。
2005年頃、鍼灸科の全学年を巻き込んで4チームくらいを作って自主大会をしました。
そのために「TeamSinQ」というチームを作り、オーダーでユニフォームなども人数分作りました。
今と似てますね(笑)
治療家学生だけの男女MIXチームでしたね。
そのあと、フォレストフットサルクラブで初めての大会にも出場しましたね。
次第に、サッカー部の活動も二年生で終わり段々と個サルやワンデー大会が主たる活動になって行きました。
ある日、フォレストフットサルクラブである貼り紙を見つけた事で流れが変わりました。
なんと、プレデター浦安フットサルクラブの福角選手(現 多摩大フットサル部監督)がフォレストフットサルクラブでフットサルクリニックを開くとの事で参加したんです。
ここにも同期の鍼灸科の友人を誘い参加しました。まだ、ここでは具体的な戦術みたいなクリニックではなく、フットサルとサッカーの違いがピンと来ていない状態でした。
当時の有さん(福角選手)はダウポンチというブラジル発祥のフットサルブランドで勤務していた事もあり、クリニック後にダウポンチの商品のフリマをしてくれた事がありました。
あそこでゲットしたダウポンチの長袖プラシャツは今でも持っています。
その時ですかね、当時は見たこともないブランドのシャツやカジュアルなスウェット姿でフットサルしたりなど、サッカーのスタイリッシュなスポーツテイストにくらべたら、圧倒的にカジュアルでストリート感があってなんかフットサルカッコいいじゃん!!
ってなったのは(笑)
だから筆者齋藤は完全に格好からフットサルの世界にハマったわけですね🤣
まぁそんなもんですよ。
当時はプーマ、ナイキ、アディダスしか知らなかったからほんと衝撃的でした。
以来、ダウポンチやペナルティなどブラジル🇧🇷ブランドにハマって行きました。
古着ファッションが好きで原宿に通っていたんです。実は雑誌スマートにも掲載頂いた事もあるくらい古着好きでリペアもしてました。
2005年、齋藤は古着を脱ぎ、毎日フットサルブランドのTシャツやスウェットスタイルになったのでした。
原宿に通うのやめて、スポーツショップ通いになりました。
ここからの道がだいぶ上京当時から変わってしまいましたね。
続く。
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