EURO開催都市とサッカー:リビウ

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    2012年01月12日 09:16 visibility313
UEFA EURO 2012開催都市を紹介するシリーズ第1弾では、サッカーやアイスホッケー、バスケットボール、水球、ラグビーでウクライナ初の試合が行われたリビウを取り上げる。


カルパティー・リビウは1970-71シーズンのUEFAカップウィナーズカップでFCステアウア・ブカレストと対戦 ©FFU

サッカーやアイスホッケー、バスケットボール、水球、ラグビーでウクライナ初の試合が行われた街。それがリビウだ。その当時のリビウは、ウクライナではなくポーランドの一部だった。

リビウはウクライナとポーランドのサッカー発祥の地でもある。記録を紐解くと、最古の試合が行われたのは1894年7月14日。ウクライナで最初に試合が開催されたのも、やはりこの日とされている。その17年後、リビウにはポーランド・サッカー協会が設立され、1903年に誕生したポーランド初のプロサッカー・クラブ、スラビア(後のツァルニ)・ルブフのホームグラウンドで初の代表戦3試合が行われた。

その直後にはLKSレヒア・ルブフが、さらにその1年後にはLKSポゴニ・ルブフが相次いでプロ化を果たしている。より大きな成功を収めたのはポゴニで、1992年から1926年のポーランド1部リーグで優勝4回を記録。そして1920年代末には、リビウで4チーム目となるハスモネア・ルブフがポーランド1部リーグに参戦した。

その後の第二次世界大戦により、リビウのサッカー界も大きく様変わりすることになる。まず、1935年のポーランド・カップ王者ツァルニは、旧ソ連当局の方針により解体。レヒアはFCロコモティフ・リビウとして生まれ変わり、ポゴニもポーランド系市民の相次ぐ国外退去により解散へと追い込まれた。

しかし、ポゴニの元役員たちは移住先でもクラブ運営に携わり、ポロニア・ビトム、オドラ・オポーレ、ピアスト・グリウィツェ、ポゴニ・シチェチンなどで役職を担った。そして2009年には、ポーランド系選手のアマチュアチームとしてポゴニ・ルブフが復活している。

1963年に創設され、カルパティア山脈から名づけられたFCカルパティー・リビウは、現在のリビウで最も大きなクラブだ。カパルティーは1969年に大きな成功を収め、下部リーグ所属ながらも旧ソ連カップを制した史上唯一のチームとなった。ウクライナ・カップ決勝で二度敗れているカルパティーにとって、旧ソ連カップはこれまでに唯一獲得した主要タイトルでもある。また、2006年にはFCリビウも誕生したが、このクラブの本拠地はリビウ近郊のドブロミルになる。

有名サッカー選手
元ポーランド代表監督のカジミエルズ・ゴルスキ、リシュザルド・コンチェビッツ、ミハウ・マティアス、バツラフ・クチャルらはリビウ出身。かつてアーセナルFCやFCディナモ・キエフで活躍したDFオレフ・ルジニーの故郷でもある。また1904年には、この街でカジミエルズ・ヘマーリンクがサッカー競技規則をポーランド語に翻訳して出版。その2年後にはイバン・ボベルスキーの手でウクライナ語版も完成した。

その他のスポーツ
リビウでナンバーワンのスポーツと言えばサッカーだが、バスケットボールやバレーボール、水球、フットサルの人気も高い。一方、女子ハンドボールチームのハリチャンカは、ここ10年間に強豪としての地位を確立。地元のチェス専門学校からは、過去60年間にわたってグランドマスターが輩出されている。

トリビア
ポゴニ・ルブフを4度のポーランド王座に導いたバツラフ・クチャルは、陸上の800メートルや110メートル障害、400メートル障害、走り高跳び、さらに十種競技でもポーランド王者に輝いた万能アスリートだった。また、スピードスケートでも22のタイトルを獲得した他、サッカーのポーランド代表として23試合に出場。ポゴニでは長年にわたって活躍し、1試合平均1ゴール以上の得点率をマークした。

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