ACL舞台ウズベキスタン取材秘話(1)現地で言われた「取材パスはありませんよ」

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    2021年06月13日 01:59 visibility115

ACL舞台ウズベキスタン取材秘話(1)現地で言われた「取材パスはありませんよ」

 

6/4(金) 12:06配信

サッカー批評Web

 

誰も頼んでいないのにいそいそと取材に出かけるフリーランスのジャーナリストがこの世にいなかったら、報道されずに埋もれてしまう数々の真実がある。この試合を取材せずにいられよか。その一心で、重くのしかかる交通費、宿泊費などの経費に泣き言をいいながら、世界を股にかけるこの生業。今回、立ちはだかったのは取材許可証の壁だった。

 

ウズベキスタン対日本の一般用入場券。ざら紙に印刷してある

 

■グラウンドまで行ったのに取材許可証がない!

 6月前半の代表ウィークが終わると、下旬にはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)東地区のグループステージが始まります。

 

 新型コロナウイルス感染症の流行が収まらないため、ACLは今年もセントラル方式で行われますが、その舞台は名古屋グランパスが出場するG組とセレッソ大阪のJ組がタイ、そしてガンバ大阪が出場するH組と川崎フロンターレのI組がウズベキスタンに決まっています(今年から出場チーム数が増えたためA組からI組まである)。

 

 タイは、日本のサッカーにとっては昔からお馴染みの場所で、ACLでもいくつものクラブが遠征しています。しかし、ウズベキスタンというのは遠征の機会も少ない場所です。「J1リーグとACLの同時制覇」を目指す川崎にとっても、中央アジアの慣れない環境で力を発揮できるように事前の準備が大切になるでしょう。

 

 ウズベキスタンはかつてはソビエト連邦の一部でしたから、1960年代に日本代表がソ連に遠征した時にウズベキスタンのタシケントでパフタコールと対戦したことはありますが、その後は日本のチームが遠征することもほとんどありませんでした。

 

 ところが、1991年12月にソ連が崩壊して、ソ連を構成していた15の共和国が独立。ロシアやウクライナ、バルト三国、ジョージアなどは欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟しましたが、中央アジア諸国はAFCに加盟しました(後にカザフスタンはUEFAに転籍)。そして、ウズベキスタンは1994年の広島アジア大会に出てきて、いきなり優勝を遂げたのです。

 

 さすがに、「元ソ連」です。

 

 日本とウズベキスタンは1996年9月には「日本サッカー協会75周年記念試合」で対戦しましたが(日本が1対0で勝利)、翌1997年のフランス・ワールドカップでも最終予選で同じB組に入りました。まず、9月7日に東京・国立競技場での初戦で日本が6対3で勝利。そして、10月11日にはウズベキスタンのタシケントでアウェーゲームがありました。

 

■「取材パスはありませんよ」

 その前週の10月4日には日本代表がカザフスタンに追い付かれて1対1の引き分けに終わり、その日の夜に加茂周監督が解任されるという事件が起こりました。そうです、僕たちがカザフスタンの美女群団に歓迎された時の話です(第47回「消えた美女群団の謎」の巻)。

 

 日本代表は、カザフスタンから直接移動して、アシスタント・コーチから昇格した岡田武史監督の下でウズベキスタンと戦うことになりました。

 

 僕は、カザフスタン戦の後、キルギスに立ち寄ってからタシケントに入り、代表の練習の取材のためにトラクター(トラクター工場が母体になったチームの名前)のグラウンドに向かいました。

 

 そうしたら、「後藤さんの取材パスはありませんよ」と言われたのです。

 

 事情はこうです。日本代表が海外遠征をする時は、たいてい西鉄旅行という旅行会社が請け負っていました。記者団の取材ビザなども西鉄旅行が担当します。しかし、そうすると高額な手数料を取られてしまうのでで、僕は「ビザは自分で取りますから」と言って協会に取材申請だけしてタシケントにやって来たのです。

 

 そう、ビザをもらいに行った時も面白い話があります。

 

 大使館(といっても、当時のウズベキスタン大使館は高級住宅街にある戸建ての普通の民家でした)で申請書を提出して、来週来るように言われたのです。ところが、翌週行ってみると日本語がうまい係官が「ごめん。まだ、出来ていないんだ。来週来てくれる?」というのです。

 

後藤健生

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