☆幻の第4回全国中等學校優勝野球大会

1918年(大正7年)の第4回夏の全国大会は地区予選が実施され代表14校も決定していたが、「米騒動」勃発という予期せぬ事件で大会が中止となった。

1918年(大正7年)の7月23日、政府の失政による米価高騰を原因として富山県魚津町の主婦らによる県外への米移送阻止が暴動の発端となり、全国的な民衆暴動に発展。暴動は9月17日まで2ヶ月近くに及び、全国で検挙者が数万人、鎮圧に軍隊も出動するという最悪の事態となったため、野球どころではなくなったようだ。
第4回大会の代表14校は、一関中 (東北代表)、竜ヶ崎中 (関東代表)、慶応普通部 (京浜代表)、長野師範 (甲信代表)、長岡中 (北陸代表)、愛知一中 (東海代表)、京都二中 (京津代表)、市岡中 (大阪代表)、関西学院中 (兵庫代表)、和歌山中 (紀和代表)、鳥取中 (山陰代表)、広島商 (山陽代表)、今治中 (四国代表)、中学明善 (九州代表)であった。
14校は西宮市の鳴尾球場(甲子園はまだなかった)に集合し、組み合わせ抽選も行われた。一時は大会延期が発表されたものの、のちに中止が決定した。優勝旗は前年優勝校の愛知一中(敗者復活からの優勝)がそのまま持ち帰った。第4回大会は試合こそ行われなかったものの、出場回数はカウントされている。

 

 【幻となった組み合わせ】

広島商(広島)  -  慶応普通部(東京)
中学明善(福岡)  -  和歌山中(和歌山)
長野師範(長野)  -  関西学院中(兵庫)
今治中(愛媛)  -  京都二中(京都)
愛知一中(愛知)  -  鳥取中(鳥取)
長岡中(新潟)  -  一関中(岩手)
市岡中(大阪)  -  竜ヶ崎中(茨城)

 

 

この第4回大会を最後に、全国大会から遠ざかっている学校がある。それは、明善高校である。

https://labola.jp/blog/user/71537/312875000

 ( ↑ 無断借用)

 

 

 

 

福岡県久留米市にある福岡県立明善高校は、1783年(天明3年)2月6日、高山畏斎が藩命により両替町に学問所を設置したときにその端を発しており、優に200年を越す歴史を有し、福岡県内有数の進学校である。

野球部は1897年(明治30年)に創部され、福岡県内では修猷館に次ぐ歴史を有する。

夏の全国大会予選には、久留米商、豊国学園、八女、嘉穂、修猷館、福岡師範、伝習館に次いで、育徳館、福岡工、福岡農、福翔とともに第2回大会予選(九州大会)に初参加した。

結果は、初参加ながら八女中(八女)に 7 - 4 、豊津中(育徳館)に 13 - 3 、中学修猷館(修猷館)に 3 - 2 で勝利し決勝進出。決勝では福岡工に 9 - 2 で勝利し初優勝を成し遂げた。

初の全国大会は、広島商に 4 - 19 、敗者復活戦 (第2回、第3回大会で採用された)では鳥取中(鳥取西)に 6 - 9 で敗れ、大会初の2連敗を記録した。全国大会の長い歴史の中で、同じ大会で2連敗した学校は、明善、長崎西(長崎中時代)、桐蔭(和歌山中時代)の3校である。

明善高校の全国大会出場回数は、第2回大会と大会が中止になった第4回大会の2回、戦績は0勝2敗。これだけみると単なる未勝利校の一つとなりますが、この2敗にはこのようなエピソードが隠れていたのである。

 

 

 

 

 

以上です。

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