(非野球) 2014.8.23. 痛がりでどうしようもない。

  • Miya
    2014年08月23日 12:31 visibility162

前職が人材教育セミナーを提供する外資系の会社勤務で、受講生を何百人となくインタビューをしていたので、人がコミットメントを手放す瞬間をよく目撃してきた。

 
その時の感想は、単純に言えばこんな感じ。
 
「人間ってこんなにも痛がりなのか・・・心が傷つくことを極度に恐れるものだなぁ」
 
我々が活動をしている時間内において、頭の中で思考しているのは、自分が自分で意識している部分であるが、その裏では「本能」がしっかり自分をコントロールしている。
本能の中枢にあるのは「自己防衛本能」で、これが一番強力。
意識するか、しないかはその時々であるけど、意識していない時がヤバい。
 
自分の本当の気持ちだと思っていることが、実はそうでなかったりする。
 
6月から自分がコミットして、コツコツ毎日地道に積み重ねてきた努力がある。
それは8月頭、見事に「しくじって」しまい、無惨な醜態を晒して終わった。
その時のショック、心の痛みは計り知れないほどあり、しばらくは放心状態。
 
それからは毎日は反省みたいな・・・結局、否定的な会話しか頭に浮かばなかった。
「そんなに早くできるようになるわけがないんだ」
「やり方が間違っていた」
「毎日やればいいというものではない」
これらは自然な流れで生まれる心の会話であって、別に自分の心が何かにコントロールされているとは思っていない。
 
しかし、あまりにもネガティブ・イメージが頭を支配するので、「これは・・・何か違うんじゃないか?」と思い始めた。
このネガティブ・プロモーションは、本当に自分自身の気持ちと意志によるものなのか?
 
そこで、自分の根っこまで下りていって、底を探ってみると、
案の定、まず出てきたのは、
「もうあんなにショックを受けるのはイヤだ!」
という鋼鉄のように固い塊だった。
すべての根幹はここから発生していた。
 
コミットした時は、あれほどまでに熱く渇望した目標の達成。
どんなに忙しくても、毎日時間をやりくりし、努力を継続したのに。
ぷつんと糸が切れたように、その意欲が湧かなくなっている。
意識上ではちゃんとその言い訳がある。
 
「そんなに早くできるようになるわけがないんだ」
「やり方が間違っていた」
「毎日やればいいというものではない」
 
しかし、実際これらはみんな目くらましだ。
 
「そんなに早くできるようになるわけがないんだ」→なら、どうする?
「やり方が間違っていた」→なら、どうする?
「毎日やればいいというものではない」→なら、どうする?
 
このように、すべて軽くはじき返される、程度の低い誘導に過ぎない。
なぜこんな誘導をするかと言えば、「二度と心を傷つけたくない」という本能の働き。
そんなに傷つかないことが大事なのか?→答えは本能的には「YES」だ。
目標を達成することよりも傷つかない方が選ぶのか?→本能的には「YES」。
 
本能は自分が欲しいと思う結果を得ることよりも、その過程で心が傷つくことを回避するように作用する。
そのために自分自身の意識を強力にコントロールする。
 
インタビューで一体何人の受講生が私に向かってこうつぶやいたことか。
 
「それは・・・私が本当に欲しいことではなかったんですよ。今気づきました」
 
それはついさきほどまで、いきいきと語っていた自分の夢、ビジョンを叶えるために、いよいよ現実の障害を乗り越えなければならないと見えてしまった後しばらくしてから起きる現象。
私の仕事はサポートとして、その障害を次々と目の前に突きつけることだった。
そんなにあっさりと「手放して」しまうのか、と思ったが、彼らは平然としていた。
彼らは自分自身のことでもある。そう、今の自分はまさしく彼らそのもの。
使っている言葉は多少違うが、本質はまったく同じである。
 
本人は決して「夢を諦めます」とは言わない。言いたくない。
この言葉も敗北を認めるということで自分の心を傷つけるからだ。
実際は敗北者。でも自分ではそう思っていない。
 
「そんなに早くできるようになるわけがないんだ」
「やり方が間違っていた」
「毎日やればいいというものではない」
 
こういう言い訳がある限り、自分の心は傷つけずに守られる。
そんなに痛くないことが大事なのか?
いつの間にか挑戦を止めてしまった自分に問いかける。
血まみれになっても、心がずたずたになっても、最後に笑えば・・・いいはずなのに。

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