import_contacts 「旧制中學」に関するブログ
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関東各地では春季高校野球の県大会が大詰めを迎えている。その中で目に留まったのが水戸一高である。水戸一高は、今春のセンバツ大会の21世紀枠関東・東京地区候補校に挙がったが、惜しくもセンバツ出場を逃している。水戸一高野球部といえば、関東の公立高校で最古の歴史を有する超伝統校である。 これは観るしかないと思い、JR常磐線快速勝田行に乗車し、J:COMスタジアム土浦に向かった。「勝田(かつた→かった)、水...
|7ヶ月前 -
5路線が乗り入れし、1日あたりの利用者数は約128万人で、東京駅より多く、横浜駅に次ぎ全国5位の北千住駅。とある秋の日、北千住駅から緑色ラインの東京メトロ千代田線に乗車し、向かった先は4駅先の根津駅。座席に腰掛け、「今日はどんな試合になるのだろう?」と、これからの展開を予想しているうちに、「次は根津」のアナウンスが流れた。根津駅に到着し、改札を出て、階段を上ると青く澄んだ空が見えてきた。不忍通りを...
|1年前 -
宇都宮高校旧本館は、1893年(明治26年)に旧栃木県尋常中学校の校舎として建築された、栃木県内最古の学校建築である。文部省の技師によって設計されたと伝えられている。元は敷地の西側の正門正面にあったが、1968年(昭和43年)及び1988年(昭和63年)の2回の曳家を経て、現在は敷地の東端にある。1階は事務室・職員室・校長室などがあり、2階は広い講堂が大部分を占めている。木材は日光杉並木の杉板を用...
|1年前 -
中国に『 伯楽、冀北の野を過ぎて、馬群遂に空し 』という句がある。「冀北(きほく)」とは中国の名馬の産地であり、「伯楽(はくらく)」とは中国周代の馬の良否を見分ける名人であった。 明治10年7月、岡田良一郎(遠江国報徳社(大日本報徳社の前身)社長)は、倉真村(現在の掛川市倉真)の自宅に私塾を開設し、中国古代の名馬を産出した冀北になぞらえ「冀北学舎」と称し、自ら名伯楽となって駿馬(優れた人材)を世に...
|3年前 -
昭和40年代、千葉県の高校野球はレベルが高く、夏の全国大会で優勝2回、準優勝1回、8強2回と黄金期を迎えていた。 その時代、千葉県立成東高校野球部を率いていたのが、松戸健監督である。1962年(昭和37年)、松戸健氏は成東高校野球部監督に就任。14年間の監督生活で、全国レベルの銚子商や習志野が厚い壁となり、成東は甲子園に一度も出場することができなかった。 1971年(昭和46年)夏の千葉大会は、セ...
|3年前 -
水戸と郡山を結ぶJR水郡線の水戸駅近くは、かつての水戸城の堀を利用している。水郡線をまたぐ本城橋を渡ると、水戸城本丸の跡地に建てられた水戸一高があり、敷地内には薬医門がある。 薬医門は、水戸城の現存する唯一の建造物で、安土桃山時代の城主・佐竹氏が建てたものをそのまま受け継いだ。堀も佐竹氏が作ったもので、校内に残る土塁も安土桃山時代のものである。 水戸一高は、1878年(明治11年)に茨城師範学校予...
|3年前 -
千葉県立佐倉高校記念館は、佐倉藩最後の藩主・堀田正倫の寄付により千葉縣立佐倉中學校本館として1910年(明治43年)に建築された。設計したのは、後に鉄道省の初代建築課長となった久野節と後藤政二郎であることが棟札からも確認されている。 建物の特徴は、中央の玄関部分を強調し、2階屋根中央の換気塔の左右に小型ドームの双塔を配し、ポーチの欄間には桜の透かし彫りがあり、両端部の切妻にはハンマー・ビーム風の妻...
|3年前 -
宇都宮商が鳴尾球場での全国大会に初めて参加した次の年大正13年8月1日、宇都宮中が関東大会決勝に進出し、陣野-酒井のバッテリーと鍛えられた守備で、前橋中を延長11回の末、4 - 3 とサヨナラで破り、栃木県チームが2年連続の関東大会制覇と全国大会出場の快挙を成し遂げた。宇都宮中は9回裏、3番・馬場が 2 - 3 のカウントから鮮やかなセンター前クリーンヒットを放って勝利を呼び込んだ。馬場は、感激の...
|4年前 -
大正7年というから、1918年の8月1日。真岡中が、第4回全国中等学校野球大会予選の関東大会に、初めて栃木県から参加した。当時はまだ県大会は行われていなかった。関東大会の場所は、茨城県(水戸商)であった。真岡中は下妻中と1回戦を戦い、7対5で惜しくも敗れた。この大会の優勝は、茨城県の竜ヶ崎中だったが、残念なことに全国大会は中止された。原因は、富山県から全国に広まった「米騒動」であった。 ~栃木県高...
|4年前 -
山際淳司 著『スローカーブをもう一球』は、今から40年前、高崎高校のエース川端投手が、130キロそこそこの直球とスローカーブを巧みに操る頭脳的な投球で、強豪校を次々と破っていく快進撃を描いたものである。 1980年秋の群馬大会で快投を続け、二回戦で沼田に 5‐2 で勝利、三回戦で前橋育英に 13 - 0 のコールド勝ち、準々決勝で前橋商に 7‐2 で勝利、準決勝では高崎商に 3‐0 と快勝し、秋季...
|4年前 -
野沢北高校は長野県佐久市に所在し、1901年(明治34年)に長野県立上田中学校野沢分校として創立された歴史を有し、長野県内有数の進学校である。 野球部は、軽井沢在住外国人チーム・早大野球部との親善試合がきっかけとなり、1905年(明治38年)に創部された。長野県内では、松本深志、長野、諏訪清陵、上田、飯田、旧・大町、旧・飯山北に次ぐ歴史を有する。その後、1937年(昭和12年)に野球部は廃部となり...
|4年前 -
上から読んでも一関一、下から読んでも一関一の、一関一高は岩手県一関市に所在し、1898年(明治31年)に岩手県一関尋常中学校として創立された歴史を有し、岩手県内有数の進学校である。 野球部は1901年(明治34年)に創部され、岩手県内では盛岡一高に次いで、福岡高校と並ぶ歴史を有する。甲子園には、春2回、夏4回出場、通算成績は1勝5敗である。甲子園春夏通算出場回数が6回で優勝経験がないのに5敗である...
|4年前 -
八戸高校は青森県八戸市に所在し、1893年(明治26年)に青森県尋常中学校八戸分校として創立された歴史を有し、青森県内有数の進学校である。 野球部は1898年(明治31年)に創部され、青森県内最古の歴史を有する。 甲子園には、春1回、夏6回出場、甲子園通算成績は2勝7敗である。甲子園に初めて出場したのは、1926年(大正15年)の第12回夏の全国大会で、青森県勢としても春夏通じて初の甲子園出場であ...
|4年前 -
鶴丸高校は鹿児島県鹿児島市に所在し、1894年(明治27年)に創立された歴史を有し、鹿児島県内屈指の進学校である。鶴丸の校名は、薩摩藩主島津氏の居城であった鹿児島城の別名「鶴丸城」に由来している。 野球部は1899年(明治32年)に創部され、鹿児島県内では鹿児島商に次いで、加治木と並ぶ歴史を有する。 甲子園には、1925年(大正14年)の第2回選抜中等学校野球大会に1度だけ出場し、甲子園通算成績は...
|4年前 -
群馬県の東部、栃木県と隣接する織物の街、桐生市に所在する桐生高校は、1917年(大正6年)に桐生町立桐生中学校として創立された群馬県内有数の進学校である。 野球部は1922年(大正11年)に創部され、群馬県内では、前橋、高崎、太田、富岡、前橋商、勢多農林、高崎商、館林に次ぐ歴史を有する。 甲子園には春12回、夏14回出場し、計26回の甲子園出場は群馬県最多である。 甲子園に初めて出場したのは桐生中...
|4年前 -
令和最初のセンバツ大会が始まる前に、東北勢で甲子園の決勝に進出した高校の試合を観たいと思い、秋季高校野球福島県大会の準決勝が行われている白河グリーンスタジアムに向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。 観戦したかったのは浜通りの名門・磐城高校、勿論、初めての観戦だ。 磐城高校は12年ぶりに秋季県大会ベスト4に進出、東北大会出場を懸けた試合に応援席は大いに盛り上がっていた。 ユニフォームはアイボ...
|5年前 -
春の選抜高校野球大会より一足早く東京都春季大会一次予選が開幕した。 100回目の夏の大会が来る前に、できるだけ多く甲子園に出場した都立高校の姿を観ておきたいと思い、修徳高校野球場に向け愛車のレクサスCT200hを走らせた。 観戦したかったのは小山台高校、勿論、初めての観戦だ。ユニフォームはグレーで胸にはローマ字で「KOYAMADAI」と書かれていた。 2014年の選抜大会に21世紀枠で甲子園初出場...
|6年前 -
福岡中学(現・岩手県立福岡高校)が初めて甲子園に出場したのは、1927年(昭和2年)の第13回全国中等学校優勝野球大会で、その時の捕手が村田選手であった。初戦で同じく初出場の桐生中学に 4 - 1 で勝利し、準々決勝で高松商と対戦した。0 - 0 で迎えた9回裏、1死三塁というサヨナラのピンチを迎えると、村田捕手は戸来投手に2者連続敬遠を指示した。村田捕手は臨時コーチとして来ていた明治大学の天知俊...
|6年前 -
100回目の夏の大会が来る前に、できるだけ多く中等學校野球創成期から活動していた高校の姿を観ておきたいと思い、神宮第二球場に向け愛車のレクサスCT200hを走らせた。 観戦したかったのは学習院高等科、勿論、初めての観戦だ。それともうひとつ、学習院高等科で忘れてはならないことがある。それは、左の胸に大きく「G」と書かれているユニフォームである。アルファベット一文字ユニフォームマニアの方にとっては、た...
|7年前 -
長野県の中央に位置し、人口約24万人の県内2番目の都市で、国宝松本城や国の重要文化財旧開智学校などの史跡、そして上高地、美ケ原高原などの豊かな自然に恵まれた松本市に、アタシがこよなく愛する松本深志高校がある。正式名称は長野県松本深志高等学校で長野県立としないところが教育県であることを思わせる(個人的な感想)。また、深志は国宝松本城の古称に由来する。 松本深志高校は1876年(明治9年) に第十七番...
|7年前