☆日本初のスクイズ~松本深志~

 

  

 

長野県の中央に位置し、人口約24万人の県内2番目の都市で、国宝松本城や国の重要文化財旧開智学校などの史跡、そして上高地、美ケ原高原などの豊かな自然に恵まれた松本市に、アタシがこよなく愛する松本深志高校がある。正式名称は長野県松本深志高等学校で長野県立としないところが教育県であることを思わせる(個人的な感想)。また、深志は国宝松本城の古称に由来する。

松本深志高校は1876年(明治9年) に第十七番中學變則學校として創立され、今年で創立141年の歴史と伝統を誇る県内屈指の進学校である。

野球部は1896年(明治29年) に創部された県内で最も古い歴史と伝統を有する。

夏の全国大会予選には、長野師範、野沢中(野沢北)、大町中(旧・大町)、上田中(上田)、飯田中(飯田)、長野中(長野)、諏訪中(諏訪清陵)に次いで、1919年(大正8年)第5回大会予選(甲信大会)に松本商(松商学園)と共に初参加した。結果は、飯田中、野沢中に勝利し、予選初参加で決勝に進出した。しかし、決勝では長野師範に 3 - 6 で敗退となった。

甲子園には、1947年(昭和22年)第29回全国中等學校優勝野球大会に一度だけ出場している。

 

松本深志といえば、我々、中等學校野球部史研究会の図書室に保管されている野球部史のひとつ「松本中学校 松本深志高校 野球部の一世紀」によると、1906年(明治39年)、長野師範で行われた長野県の第5回連合大運動会にて、松本中(松本深志)と上田中(上田)の試合で、松本中の大沢選手が試みたスクイズが日本初であるとされている。(諸説あり)

また、松本深志のユニフォームといえば、白地に左胸には校章と同じトンボのマークである。帽子には漢字で「松本深志」と記されている。実に個性的なユニフォームである。

 

松本深志の練習時間は短い。19時には完全下校で、勉強時間や塾の時間を確保するために月曜日、木曜日は練習が休み。しかし、選手達はそれを勝てない理由にしたくない、それも踏まえて深志なんですからという。

そんな松本深志は、今夏に続き、今秋も県大会ベスト8に進出した。その原動力となっているのが、共に140㎞を超える双子のダブルエースである。

 

 

来春のセンバツ大会に21世紀枠で是非とも出場して貰いたいと願わずにはいられない。

 

 

 

 

 

以上です。 

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