☆ハルノヒ ~東京大学 VS 土浦一高 観戦記~
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鶴丸 深志’
2023年11月23日 18:00 visibility751
5路線が乗り入れし、1日あたりの利用者数は約128万人で、東京駅より多く、横浜駅に次ぎ全国5位の北千住駅。とある秋の日、北千住駅から緑色ラインの東京メトロ千代田線に乗車し、向かった先は4駅先の根津駅。座席に腰掛け、「今日はどんな試合になるのだろう?」と、これからの展開を予想しているうちに、「次は根津」のアナウンスが流れた。
根津駅に到着し、改札を出て、階段を上ると青く澄んだ空が見えてきた。不忍通りを北に向かう足音が次第に加速してゆく。根津神社が見えてきた。七五三の写真撮影をしている家族がいた。祝福しつつ、さらに足音は加速してゆく。秋の日なのに、春の日のような陽気。この坂を上れば東大野球場だ。
東大野球場は1937年(昭和12年)に建設され、アーチ状の屋根付き観客席、ダッグアウト及びフェンスが国の有形文化財に登録されている。野球場施設としては全国初の登録となったようだ。
この東大野球場で、東京大学と土浦一高のオープン戦が組まれている。大学と高校が対戦するレアな試合、関係者以外で観る人はいるのかしら?
土浦一高は茨城県土浦市に所在し、1897年(明治30年)に茨城縣尋常中學校土浦分校として創立された歴史を有し、現存する旧本館が全国の旧制中学の建造物として初めて国の重要文化財に指定された。進学実績においては、戦後の東大累計合格者数が北関東トップで、1997年(平成9年)には43名、2001年(平成13年)には32名と2度、全国の公立高校の東京大学合格者数1位を獲得している。
野球部は1898年(明治31年)に創部され、茨城県内では水戸一高に次ぐ歴史を有する。ユニフォームは白地で、左胸に花文字の 「T」 一文字マークである。
甲子園には、1957年(昭和32年)の第39回夏の全国大会に1度だけ出場(当時は北関東代表)している。この大会は早稲田実業の王選手に注目が集まった大会であった。結果は、初戦で県和歌山商に 4 - 0 で勝利し、甲子園初勝利を挙げた。続く2回戦は、県岐阜商に 0 - 2 で敗退となった。
夏の全国大会予選には、1917年(大正6年)の第3回大会予選(関東大会)に、茨城県勢としては竜ヶ崎一高に次いで、水戸商業とともに初めて参加した。この予選には、東京から慶応普通部(慶応)、早稲田実、早稲田中(早稲田)、荏原中(日体大荏原)、麻布中(麻布)、立教中(立教新座)、成城中(成城) 、明治学院中(明治学院)、大成中(大成)、高輪中(高輪)、豊島師範の11校、神奈川から横浜商、神奈川一中(希望ヶ丘)の2校、茨城から土浦中(土浦一)、竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)、水戸商の3校が参加した。結果は、初戦で神奈川一中に 11 - 12 でサヨナラ負けを喫した。
夏の予選初勝利は、1921年(大正10年)の第7回大会(関東大会)で、宇都宮農(宇都宮白楊)に 12 - 4 で勝利した。
夏の予選通算成績は109勝96敗1分である。
さて、試合の方は、終盤に土浦一高が追いあげたが、11 - 7 で赤門打線の東京大学が逃げ切った。
果たして、伝統ある土浦一高に春の便りが届く日は来るのだろうか?
以上です。
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