☆春の東海王者 ~掛川西~

 

中国に『 伯楽、冀北の野を過ぎて、馬群遂に空し 』という句がある。「冀北(きほく)」とは中国の名馬の産地であり、「伯楽(はくらく)」とは中国周代の馬の良否を見分ける名人であった。

明治10年7月、岡田良一郎(遠江国報徳社(大日本報徳社の前身)社長)は、倉真村(現在の掛川市倉真)の自宅に私塾を開設し、中国古代の名馬を産出した冀北になぞらえ「冀北学舎」と称し、自ら名伯楽となって駿馬(優れた人材)を世に送りだそうという謂。
明治13年10月、前期掛川中学校が開設され、岡田良一郎は郡長として校長をつとめた。明治17年7月、冀北学舎は閉塾されたが、掛川中学校は、当然に冀北学舎の影響を受けた。この由縁をもって、掛川中学・掛川西高校の同窓会を冀北会と呼んでいる。

 

この伝統ある掛川西が、12年ぶり2度目となる春の東海王者に輝いた。夏の聖地に向け、草原を疾走する馬群のように一段と勢いがつきそうだ。

 

 

掛川西高校は、1901年(明治34年)に静岡県立掛川中学校として創立、さらにその起源は前述の1877年(明治10年)に創立された私塾「冀北学舎」まで遡る伝統校で、静岡県内有数の進学校である。
野球部も1901年(明治34年)に創部され、静岡県内では浜松北、静岡、韮山に次いで、榛原と並ぶ歴史を有する。

夏の全国大会予選には、静岡県内では浜松中(浜松北)、静岡中(静岡)、沼津中(沼津東)、浜松師範に次いで、韮山中(韮山)とともに1923年(大正12年)の第9回大会予選(神静大会)に初参加した。しかし、初戦の静岡中との対戦は「棄権」という記録が残っている。
夏の予選初勝利は、1924年(大正13年)の第10回大会予選(神静大会)で、韮山中に 6 - 1 で勝利した。
夏の予選通算成績は、212勝91敗3分、優勝5回、準優勝5回である。

甲子園には、春4回、夏5回出場し、通算成績は3勝9敗1分である。

 

 

伝統ある掛川西高校の甲子園復活に期待したい。

 

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以上です。

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