☆東北勢三校目の甲子園準優勝校 秋季大会観戦記~磐城高校~

 

令和最初のセンバツ大会が始まる前に、東北勢で甲子園の決勝に進出した高校の試合を観たいと思い、秋季高校野球福島県大会の準決勝が行われている白河グリーンスタジアムに向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。

 

 

 

 

 

 

観戦したかったのは浜通りの名門・磐城高校、勿論、初めての観戦だ。

磐城高校は12年ぶりに秋季県大会ベスト4に進出、東北大会出場を懸けた試合に応援席は大いに盛り上がっていた。

ユニフォームはアイボリーホワイトにコバルトブルーを基調とし、胸には「IWAKI」と書かれていた。

尚、入場料は500円ですた。

 

 

 

 

 

 

 

試合の方は、夏13連覇中の聖光学院を倒した学法石川を 7 - 2 の逆転勝ちで破り、創部初のベスト4に進出し勢いに乗っている福島成蹊を相手に、8回表までは 6 - 3 でリードしていたが、8回裏に、乃木坂、欅坂、神楽坂、上り坂、下り坂、まさかの坂の4点を奪われ惜しくも逆転負けを喫した。

明日の3位決定戦を制し、何とか秋季東北大会に出場して貰いたいものだ。とはいえ、21世紀枠でのセンバツ出場の可能性も出てきたのではないだろうか?

 

東北地方では宮城県仙台市に次いで人口の多い、福島県いわき市にある磐城高校は、1895年(明治28年)に福島県尋常中学校磐城分校として創立された歴史と伝統を有し、偏差値68を誇る福島県内有数の進学校である。

野球部は、1906年(明治39)年に創部され、安積高校、福島明成高校、会津高校、福島高校、相馬高校に次ぐ歴史を有する。

夏の全国大会予選には、福島県勢としては福島師範、会津中(会津)、福島中(福島)に次いで、1918年(大正7年)の第4回大会予選(東北大会)に初参加した。結果は、築館中(宮城・築館)に 10 - 20 で敗退となった。
その後、数年間は予選に参加せず、予選初勝利は1923年(大正12年)の第9回大会予選(東北大会)で、横手中(秋田・横手)の棄権による勝利であった。
夏の予選通算成績は220勝91敗1分、優勝7回、準優勝6回である。
甲子園には、春2回、夏7回出場し、1971年(昭和46年)の第53回夏の全国大会ではコバルトブルー旋風を巻き起こし準優勝を成し遂げ、福島県高校野球史に輝かしい一頁を刻んだ。

 

伝統ある磐城高校の古豪復活、また、甲子園復活に期待したい。

 

 

 

 

 

 

白河といえば、白河の関。

ラボーラでは2度目の登場でしょうか?

東北勢が決勝に進出したのは夏9回、春3回の計12回あったが、優勝にはあと一歩届かず。

第1回夏の全国大会決勝で秋田中学の戦いぶりを観た先人達は、「優勝旗の白河越え」がこれ程までに長く困難なこととは誰一人として思わなかったことでしょう。

みちのくの地に優勝旗が渡ることを願うばかりである。

 

 

 

 

 

以上です。

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