荒木大輔がいた時代
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篠山鳳明
2024年05月31日 10:50 visibility454
大学三年の夏、母校に教育実習にゆきました。
その時、野球部の監督の補助をさせて頂きました。
練習前職員室で甲子園のTVを見ていたら監督から
「おい!見てみろ、この一年生、良いぞ凄い投手になるぞ!
外角のストレートの伸びが良い」と言ったのを覚えております。
それが当時の荒木大輔であった。
1980年代、優勝こそ出来なかったが、1980年代前半は早実の荒木大輔を中心に高校野球界は回っていた。
荒木大輔は、1980年に早実入学、第62回全国高等学校野球選手権大会と東東京大会で1年生ながら控えの三塁手としてベンチ入り。
東東京大会開始直前に2年生エース芳賀誠(早大 - 日本IBM)が故障したことにより投手として起用され、準決勝で選抜準優勝の優勝候補の帝京を3安打完封。二松学舎大付との決勝でも先発を任され、二松学舎大付に先制を許すも自軍の活発な打線と荒木の完投勝利により早実が10-4で快勝。
チームを2年ぶりの夏の甲子園に導いた。 甲子園大会では初戦の北陽(大阪)戦を含めた5試合に先発し4完封、44回1/3連続無失点の力投で決勝進出の大きな原動力となるが、決勝ではエース愛甲猛、好守好打の安西健二を擁する優勝候補の横浜に初回先制され無失点記録がストップし、その後も小刻みに追加点を許し4-6で敗れ準優勝に終わった。
この時の甲子園での大活躍に加え、端正かつ爽やかなルックスとが相まって、中高生を中心とした幅広い女性ファンから絶大なる支持と人気を集め、以降、荒木が高校野球を引退するまで移動のバスや練習グラウンド、試合前後の球場内外を大勢の女性ファンが取り囲むという光景が、この時代の風物詩になるとともに一大ムーヴメントとなった。
3年時の1982年夏の甲子園準々決勝では畠山準や水野雄仁、江上光治らを擁する徳島・池田と対戦するが、試合前に降った降雨の影響によるグラウンドコンディションの悪化や池田の活発な長打と本塁打攻勢の前に、先発の荒木、リリーフの石井ともに飲み込まれてしまう結果となり、終わってみれば2-14という戦前の予想を大きく覆す大差をつけられる形で高校野球生活最後の夏を終えた。
1980年代前半の荒木大輔は何だったのだろうか?
その時代はどんな時代だったんだろうか?
自分は何をやっていたのだろうか?
改めて、今偶に思い返す事がある。
注)失礼ながら、文章構成上、敬称は略させて頂きました。
また、一部文章を転記させて頂かせております。
- 事務局に通報しました。
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