伊予のいごっそう!

四国の名将 上甲正典氏(宇和島東、済美)

愛媛県北宇和郡三間町(現宇和島市)に生まれる。

 

宇和島東時代は三塁手だったが甲子園への出場はなかった。

 

その後は龍谷大学に進学し、ベンチ入りはしたが試合には数試合程しか出場していない。

 

大学卒業後、就職したが、直ぐに退社して宇和島に戻り再就職、セールスをしながら薬種商なる資格を取り薬屋を開いた。

 

良く昔は「薬売りの上甲さん」と言われていた。

 

1975年に母校の宇和島東の部長からそして監督になり、1987年の第69回選手権大会で甲子園初出場、そして良く春の第60回選抜大会で初出場初優勝という偉業をやってのけた。

 

その後は1997年〜1999年まで愛媛県大会を三連覇したが、2001年に決勝戦で松山商業に6-7で惜敗、また同年の6月に愛妻を病気で亡くした事もあり、この敗戦を機に宇和島東の監督を辞任した。

 

その後人伝いに亡くなられた奥さんが「監督をやってる夫の笑顔が一番好き(上甲スマイル)」と言われていたと聞いて、前から勧誘を受けていた済美高校の監督になるのである。

 

そして2004年には、その済美高校を選抜大会初出場、初優勝に導くのである。選抜大会で初出場初優勝を違う高校で2回達成したのは上甲以外いない。

 

同年の第86回選手権大会も決勝戦まで進出するが、エース福井優也の不調も有り打撃戦になり10-13で敗れ春夏連覇の偉業は達成出来なかった。

 

2013年には安樂を擁して第85回選抜大会で決勝戦まで勝ち上がるが、浦和学院に1-17で大敗した。

 

2014年の夏の愛媛大会では3年生になった安樂を擁して上位進出を狙ったが、3回戦で東温に1-4で敗れて、この試合が最後の戦いとなった。

 

県は違えど、明徳の馬淵さんと仲が良く、亡くなる一週間前娘に懇願し、見舞いに駆けつけた馬淵さんと90分間野球の思い出話をしたという。

 

甲子園では

 

通算成績

 

出場17回

 

25勝15敗、優勝2回、準優勝2回。

 

誰が付けたか?『上甲スマイル』、チャンスになれば両手に唾を掛けて「よし!さー行くぞ」みたいなポーズを取る。

 

しかし当たり前だが、練習での指導は厳しかった様である。

 

また、何時も冷静沈着な采配、焦る姿を見たことがなかったが、ただ唯一駒大苫小牧戦で垣間見えた。

 

「あ~上甲さんも、普通の人何だなぁーと」改めて思った。

 

☆名将烈伝(ベースボールマガジン社)より写真引用

 

 

 

 

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