
隻腕の指導者 木村進一氏
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篠山鳳明
2025年07月23日 11:53 visibility428
隻腕の指導者 木村 進一氏
1876年(明治9年)に滋賀の彦根市に西本願寺系寺院の師弟教育の為に、金亀教校として創設したのが、龍谷大学平安高校の始まりで有る。
1909年京都市の現在に移転
1910年平安中学に改称した。
平安高校と言えば名だたる京都の古豪、
北海道で言えば北海、長野と言えば松商学園等と一緒で有り
現在迄京都の高校野球界を牽引している。
ベースボールマガジン社の「高校野球名門校シリーズの6」でも取り上げられている。
そんな中平安高校に隻腕の指導者が居たのをご存知であろうか?
左手を戦地で失った木村進一氏である。
1919年木村進一は京都市に生まれる。
現役時代は平安中学で遊撃手として1936年の第13回選抜大会から1938年の第24回中等優勝野球大会まで6季連続で甲子園へ出場した。
中学卒業後は立命館大学へ進み、その後は名古屋軍へ内野の準レギュラーとして活躍した。
その後招集され、ラバウルで誤って砲弾を扱い、右手首を消失してしまった。手榴弾を上下反対に持ってしまったのだ。
1948年に平安高校の監督に就任。左手の義手にボールを乗せて、器用に左手1本で打つのは芸術的であった。
1951年の第33回の選手権大会で悲願の優勝を成し遂げた。
そしてそのタイミングでそのタイミングで木村から西村に改名しした。
その後は扇町高校、岸和田高校の監督などを経て、龍谷大学野球部監督に就任、初のリーグ優勝へと導いた。
西村進一氏の息子の西村一貴氏も平安高校から早稲田大学へ進学、東京六大学では二塁手としてベストナインにも選出され、社会人野球の 日本生命でも活躍した。
私は平安高校と言うと
明治神宮大会で準優勝し翌年選抜でベスト4へ進出した、エース山根を擁した時代からしか知らないが、こんな監督がいたなんて知らなかった。
やはり野球が心の底から好きじゃないと、ここまでは出来ないと思った。
私は、隻腕の指導者 木村進一氏を忘れることが出来ない。
☆名将烈伝(ベースボールマガジン社)
☆平安高校野球部史
☆高校野球名門校シリーズ(ベースボールマガジン社)から写真引用。
- 事務局に通報しました。
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