小嶋仁八郎が見た夏の頂点の景色(大分県立津久見高校)

 

大分県の東岸に位置する津久見市は大分県の中では人口が少ないが、人口密度は大分市、別府市についで高い。

 

津久見と言えば私はセメントとミカンと漁業の街、そして何故か?中学高校時代聴いていた伊勢正三の故郷だと言うことを思い出してしまうのだ。

 

近接する市には佐伯市が有りここも高校野球では有名な佐伯鶴城高校が有る。

 

大分県立津久見高校はそんな津久見市にあり、1967年(昭和42年)第39回の選抜大会で、決勝戦高知高校を2-1と破り初優勝している。

 

その5年後の1972年(昭和47年)の第54回の選手権大会でその歴史へまた痕跡を刻むのである。

 

エースの水江正臣と主将の吉近寿一等が中心となり、その頂きの頂点へ挑んで行ったのだ。

 

決して優勝候補でもなかったはずだ、ずば抜けた力があった訳でもなかった。勝つごとに一戦一戦力を付けて行ったチームだと思う。

(よく言う甲子園で強くなるチーム)

 

1回戦は鹿児島商業に苦戦した。

 

8回まで1-2と劣勢、鹿児島商業の1年生エース右の下手投げの堂園に手こずった。ヒットの数では13-4と圧倒したが、スクイズ失敗や良い当りが正面をついたり不運だったが、最後は堂園の乱れを突きサヨナラ勝ちを収めた。

 

2回戦は苫小牧工業戦

 

好投手工藤を打線が攻略し17安打13得点で13-1で大勝したがこれが行けなかった。

 

準々決勝は明星戦

 

ここにも冷静沈着な好投手辻内がいた。

 

この試合も苦戦両チームとも8回終了して0-0

 

9回表水江が明星打線を抑え、その裏水江自ら三遊間を抜き、坂東が左翼線に長打を放ち、水江がサヨナラのホームを踏んだ。

 

準決勝は天理戦

 

力と力の勝負。

 

相手天理の金森は球は速いが荒れ球、初回は天理に2点を取られたが、6回に追い付き、7回、8回に逆転、天理打線を最終かいの1点に押さえて5-3で逃げ切った。

 

決勝戦は柳井高校

 

柳井高校は1958年(昭和33年)14年前の優勝校。

 

エースは精密機械と言われるほどコントロールが良い杉本。

 

初回は柳井が一死後岡本のセンター前でチャンスを作っり3塁まで進んだが、杉本が力んで投手ゴロでチャンスを潰した。

 

ここで柳井が先制していたら試合はわからなかった。

 

2回に津久見が吉近のヒットと足立の犠打で先制、3回にも連打で2点を取り3-0と試合を優位に進めた。

 

柳井もヒットは出るが、後1本の決定打がなかなか出ない。

 

終盤に8回裏に1点を返すが、時すでに遅し、3-1で深紅の大旗は小嶋仁八郎監督率いる津久見高校が獲得した。

 

深紅の大旗が九州に渡るのは1965年(昭和40年)第47回の選手権大会三池工業が優勝して以来7年ぶりの事であった。

 

蜜柑色のストッキングと胸にアルファベットのゴシック体で

 

『TSUKUMI』あの勇姿をもう一度甲子園で、見てみたいと思っているのは私だけで有ろうか?

 

☆54回夏の甲子園 アサヒグラフ(朝日新聞社)

 

☆ユニフォームセレクション(洋泉社)

 

☆名将烈伝(ベースボールマガジン社)より写真引用

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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