爽やかに吹き抜けた湘南の風(湘南高校の快進撃)

 

1949年(昭和24年)第31回全国高校野球選手権大会は神奈川の湘南高校が、あれよあれよという間に頂点へ駆け上がった。

 

まぁ書くまでもないが、湘南高校と言えば全国屈指の進学校、

 

特に野球に特化した高校ではない。

 

戦後間もない物資不足が続く中、日本はやがて復興の道を辿り始めた時期である。

 

今年は戦後80年、時とともに、風化されいく中我々は未来にそれを伝えてゆかなければならない。

 

湘南高校は2回戦より登場

 

城東(徳島)を9-3で下し、準々決勝も松本市立を2-1とエース

 

田中孝一の力投でしのぎ、準決勝は怪童中西太がいた髙松一高を3-2で下した。

 

エース田中は後日こう語っている。

 

「相手の打者の素振りを見れば何処に投げれば打ち取れるか?わかる、何故かと言うと打者と言うものは自分の得意なコース、高さだけを振るものだ、その逆を投げれば打たれない」。

 

成る程と思わせるいかにもクレバーな発想である。

 

また監督が佐々木久男(佐々木信也の父親)の野球対する考え方もこのチームにマッチしていたのかも知れない。

 

佐々木はこう語った。

 

「野球は心身の鍛錬の為にやるものでもなく、また心身が良くなるからやるものでもなく、本当に好きで楽しみにやるものだ」。

 

この考え方が表現したのがこのチームであったのだ。

 

今で言うと「Enjoy Baseball」なのである。

 

練習も時間を掛けずに効率良く行われており、勉学との両立も奨励した。

 

佐々木久男が選手に唯一口酸っぱく言ってた一言が有る。

 

「見逃しの三振だけはするな。見逃しでは何も生まれない」であった。

 

決勝戦は三岐代表の大会屈指のサウスポーの花井投手が居る強豪の岐阜高校と対戦。

 

案の定湘南は3回終了して0-3とリードされた。

 

湘南ベンチは意に関するものぞである。ある選手が予言する

 

「大丈夫だよ!後半逆転するから」と言い放つ、皆が「そうだな!」と、ベンチの中はリードを許した焦り、悲壮感等は全く無かった。

 

1年生だった佐々木信也はレフトを守っていた。

 

後の高野連会長の2年脇村春夫は3塁を守っていた。

 

3年生はエースの田中含めて4名のみ、だからこそ物怖じしないで戦い抜けたのかも知れない。

 

試合は、誰かが言った予言通り後半に、6回と8回に岐阜の好投手花井を攻略して5-3で優勝。

 

とうとう全国参加校1365校の頂点に立ったのだ。

 

今から戦後間もない76年前の夏、甲子園には爽やかな風が吹き抜けた。

 

☆週刊 甲子園の夏NO15(朝日新聞社)より写真引用。

 

 

 

 

 

 

 

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