
果てしなく続く延長戦、栄冠は西条高校に
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篠山鳳明
2025年08月19日 09:19 visibility262
果てしなく続く延長戦、栄冠は西条高校へ(金子哲夫と大井道夫)。
1959年(昭和34年)の第41回全国高校野球選手権大会は北四国代表の西条高校と北関東代表の宇都宮工業で覇権争いが行われた。
この大会ベスト4へは八尾(大阪)、東北(宮城)、宇都宮工業(栃木)そして西条(愛媛)が勝ち上がって来た。
この大会は東北出身の私としては忘れられない大会として後年記憶に残した。
東北高校に波山次郎という投手がいたのだ。
北朝鮮から船に乗り、日本へ来た波山次郎は宮城に住みそこで松尾勝栄率いる東北高校野球部の門を叩いた。
負けん気が人一倍強く、投手向きの性格を松尾は見逃さなかったのだ。東北高校は下館一15-1、倉敷工業2-0、優勝候補だった日大二高も3-2と下し準決勝に進んだ。
相手は組合上一戦少ない宇都宮工業。試合途中微妙な判定も東北には傾かず1-2で惜敗したのだ。
勝負事に「IF」はないのだが、東北が勝っていればどうだったか?と想像するとワクワク感が止まらなかった。
波山次郎は後年朝鮮半島に帰り、不幸にも勤務していた工場で事故に遭い若くして亡くなったと聞いたことが有る。
決勝戦は西条が4回表を終わり2-0と試合を優位に進める。
宇都宮工業も4回裏連打を連ねて2-2の同点に追いつく。
試合が動いたのはここまでで以降は、ダムの溜水の様に試合は両投手の投げ合いで攻擊陣が付け入る隙がなかったのだ。
途中8回表西条がホームクロスプレーでアウトになったり、部分的には勝ち越すチャンスも有っただろうが、それが球運なのかも知れない。
延長に入り、回は進んで行く。
10、11、12、13回と。
しかし勝負事にはいつか終わりが来るものだ。
延長15回表西条高校は疲れが見えた宇都宮工業の大井道夫投手をとうとう捕らえ、打者一巡の大量6点を奪い万事休す。
その裏宇都宮工業にもう6点差をはね返す力は残っていなかった。
大井道夫は後に日本文理(新潟県)で長らく監督をされた名将であるが、あの中京大学中京戦の決勝戦の最後の日本文理の猛攻に、西条高校に敗れた時の大井道夫の執念を見た思いがする。
☆週刊 甲子園の夏11号(朝日新聞)
☆大学野球熱闘史(ベースボールマガジン社)より写真引用
※失礼ながら文章校正上敬称は略させて頂きました。
- 事務局に通報しました。
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