柳井高校、全員野球の勝利

柳井高校、全員野球での勝利

1958年(昭和33年)第40回夏の甲子園(記念大会)が8月8日〜19日まで甲子園球場と西宮球場の両球場で行われた。

 

アメリカの管理下に有った沖縄からの参加で47校が参加した。

 

大会を勝ち上がって来たのは徳島商業、作新学院、高知商業、そして柳井高校であった。

 

やはりこの大会で際立ったのが、準々決勝の板東英二(徳島商業)と村椿輝雄(魚津)の延長18回の引分け再試合であったのであろう。

 

結果は再試合で徳島商業3-1で魚津を下したが、この試合は今でも語り継がれる名勝負である。

 

しかし

 

それ以外にも特筆すべき事は高知商業の光内投手が松阪商業戦でノーヒットノーランを余り話す人はいない。やはりこれ以上に板東vs村椿の投げ合いが強烈だったのか?。

 

しかしこの引分け再試合が後の板東英二には思わぬ方向へ転がるのだ。

 

準決勝は

 

徳島商業vs作新学院

 

柳井高校vs高知商業の戦いとなった。

 

徳島商業は作新学院の粘りに苦しんだが、最終回に3点を入れて何とか4-1で振り切った。

 

柳井高校は高知商業の光内を打ち崩せず8回裏に虎の子の1点を友歳克彦が力投して決勝戦に進出した。

 

徳島商業は初回桧皮谷がヒットを打ったが2塁を欲張りアウト。

 

2回は三塁打を放った大野が友歳が眼鏡を拭いてる隙に本塁を陥れようとしたが、本塁上憤死と自らチャンスを潰す。

 

方や柳井高校は2回裏に連打と四球で満塁になると板東が押し出しを与え2番の橋本もタイムリーを放ち一挙に3点を先取。

 

柳井はその後もこつこつと安打を積み重ね、終わってみれば14安打7得点と完全に板東英二を攻略した。

 

柳井の友歳投手は変幻自在の投球で徳島商業を1、2回の4安打のみに抑え完封勝ちをし山口県に深紅の大旗を初めて持ち帰った。

 

板東英二はやはり魚津戦の延長18回の引分け再試合が響いたのか、もう最後は投げきる力さえ残っていなかったのかも知れない。

 

柳井高校友歳克彦はエースで主将であったが、法政大学へ進学しても投手で主将を務めた。

 

最後に柳井高校を初優勝に導いた福中満監督の笑顔が何故か誇らしげに見えた。

 

☆週刊 甲子園の夏13(朝日新聞社)

 

☆週刊 朝日 第40回甲子園大会号(朝日新聞社)より写真引用。

 

※文章構成上敬称は略させて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

sell野球

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。