過去との決別(田村隆寿投手 磐城高校)

幸福のかたち(磐城高校 田村 隆寿氏)は人それぞれだと思います。


ずーっと、この新聞の切り抜きを探していた。

どうしてももう一度読みたいからであった。

しかし人間の記憶とはいい加減なものだ。

もっと小さな記事だと思っていたが、意外にも大きかった。

 

2011年年末の毎日新聞社の一部の記事で有った。先程60冊殆ど有るスクラップブックの中からやっと見つけた。

 

この記事は田村氏が夏甲子園で故郷のヒーローになってから転落しまう人生、そして東日本大震災が有ってからの故郷を思う刹那い気持ちが書かれている。

 

第53回大会夏の甲子園大会での活躍は周知の事実で有るが、私は小学生6年生、どちらかと言うと小学校での遊びの方に比重が有り、甲子園はそんなに見ていなかった。

 

ただ桐蔭学園の決勝戦だけは見た記憶が有る。

詳細は記憶にないが、おやじが凄く悔しがっていたのだけは記憶に有る。だから田村隆寿氏の活躍を具体的に知ったのは書物、雑誌等で有る。

 

この新聞記事を読んだ時まず思ったのは

ヒーローになると後の人生が大変な事になるなぁ?と言うのと、田村氏は堕ちてゆく自分の人生の中で歯止めをかけれなかったのか?なぁと思った。

 

無責任な言い方では有るが本人にしか分からない心の中での葛藤があったのだろうか?。

福島駅に車を乗り捨てて、電車に跳び乗り何処かに逃げたくなる。

わかるような気がする。

 

けど田村さんは東日本大震災の後に意を決して準優勝のメンバー宗像氏に会い逃げる自分変えるために全てを吐露した。

 

宗像氏と会った後、福島大会優勝を決めた信夫ヶ丘球場のマウンドに立った。その時あの優勝した時の高揚感が戻ってきた。

 

大丈夫だ!。その時田村氏はもう過去の自分とは決別していた。

 

☆毎日新聞2011年12月末の毎日新聞より引用

 

 

 

 

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