「人」が先か、「場」が先か
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ひろ
2012年01月08日 23:24 visibility119
書き出しに悩んだので、
とりあえずきっかけになったコラムを原文のまま引用。
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「場」というものが、どれだけ大事なもんか、
どんどん切実に思うようになっています。
遊ぶにも、遊ぶ「場」が必要です。
たしかに、どこでだって遊べると言えば言えるけど、
「場」のない遊びは、とても限られます。
なにかものを売るとしても、
「場」がないとむつかしいです。
インターネット上の見えない「場」であったとしても、
なかったら、どうしようもありません。
いつも暮らしているじぶんの町では、
ゆっくりできる「場」だとか、食事をする「場」だとか、
誰かと話す「場」だとか、だいたいわかっています。
でも、ほら、旅行に出かけて、よその町を歩くとき、
休むにしても、食べるにしても、
「場」は探さないとどこにもないでしょう。
大震災の話で、よく聞いたのが
『陸前高田ドライビングスクール』のことでした。
震災後から、いろんな人たちに「場」を提供した。
自衛隊、放送局、救援物資を配る活動、勉強会、
臨時の商店街‥‥なんでも、そこに出来ていった。
どれひとつ、「場」がなかったら成り立たなかった。
ものすごく切実な「場」だったわけです。
「ほぼ日」をはじめてから、何度か事務所の移転をして、
その度に、ミーティングの「場」を増やしました。
人と人とのつながりが大事だとか、
考えを他の人にぶつけて試してみろとか言うのに、
それをする「場」がなかったら、
結局、じぶんの頭とコンピューターで仕事しちゃうに、
決ってるじゃ‥‥あーりませんか。
集まる「場」があるから、集まるのがクセになるんです。
人が大事、人が基本、人が仕事をする、人に投資しろ。
そこらへんまでは、理解してる人も多いと思うんです。
でも、その「人」の価値を大事にするためには、
「場」というものが、とても必要なんですよね。
そしてその「場」ってものは、自然にはできないし、
しっかり守らないと無くなっちゃうこともあるんだなぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」って「場」が、喜んでもらえたらうれしいです。
(by糸井重里:ほぼ日刊イトイ新聞 - 今日のダーリン(2011/12/30)より)
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なにをするにも「場」が大事。
年末に書かれた糸井さんのこの言葉には深く共感を覚えました。
そうだよなぁ、「場」って大事だよなぁ。
「場」をつくるから、そこに「人」が集まるのか、
「人」が集まるから、そこに「場」ができるのか、
たぶんどっちのケースもあるのでしょうが、最近は後者のほうが多い気がします。
しかし、「場」というのは新しくつくるよりも、
それを守り維持することのほうがよっぽど難しい。
最近そんなことをよく思います。
「場」をつくることはひとりでもできるかもしれませんが、
どんなにそれを守ろうと思ったって、「人」の集まらない「場」に価値はありませんからね。
いくら「場」が大事と言ったところで、そこに集まる「人」こそが価値であり本質である。
それはその通りなんだけど、その「人」もまた、「場」があるから集まれるわけであり、
そして、その「場」を維持するということは、集まる「人」に依存していて・・・
なんだか書きながら、ぐるぐる回って訳が分からなくなってきてしまいましたが、
「場」を活かすのも「人」であり、「場」に活かされるのも「人」である。
もっともらしい書き方をすると、そんなところでしょうか・・・
と、結論もなく、具体性もないまま、眠くなってきたので終わります。
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