†Think on Your Sins 2†

「わかりやすい授業」を熱心に研究する教師や学校は多い。そのためのセミナーまであるくらいである。しかし、それは無駄な努力であり、そんなことを研究しなくてはならないなら、その学校の教育は完全に失敗しているのである。
なぜならば、授業がわかりやすいか否かは、自立した勉強をしている生徒にとってはどうでも良いことなのである。勿論、話が下手でわかりにくいのは論外である。自立した勉強をしている生徒には「わかりやすい授業」などありがたくもなんともない。授業は自分の勉強の確認の場なのである。自分で自立的に勉強していてもなかなか悟ることのできないことを語ってくれる、痒いところに手が届くような「目から鱗的な授業」がありがたいのである。彼らにとって学習者を勉強させる、親切の押し付けのような授業は不要である。
最近はそんな自立した学習者が喜ぶ授業をトンと見かけなくなった。終電後の慣れた家路をタクシーに乗ったとき、こんな道があったのかと驚かされ、感心させられるベテランのタクシー運転手のような教師は、今日少ない。
そもそも、今どきの「わかりやすい授業」は生徒を育てない。ほとんど勉強していなくても最初からすべてを懇切丁寧に解説してくれる。聞いている生徒は何も考えなくてもよい。その場はわかった気分にさせてくれて、わからない状態や不安とうまく付き合うことを知らない生徒は気持ちよく家路につくことができる。そして、帰宅後、その日の復習もせずにやすらかな眠りにつくことができるのである(永遠に目覚めなくていいのに・・・・(笑))。
そんな授業が生徒に力をつけさせることなどないことは火を見るより明らかである。
今日、こんな「わかりやすい授業」を熱心に研究している教師の鑑のような教員が大変多いことを考えれば、日本の教育の未来は暗いわけではなく、未来そのものがないことがよくわかろう。



まぁ、こんな状況にした犯人は塾なんだけどね・・・・( ̄〜 ̄)ξ

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