やわらかな誰が喫みさしし珈琲ぞ紫の吐息ゆるくのぼれる

 

 

 

 

 

今どきの心弱い母親がお好きな言葉。

「私は母親である前にひとりの人間であり女なんです。」

何、開き直ってるかねぇ( ̄~ ̄)ξそんな生ぬるい考えじゃ、子どもなんかまともに育てられない。逆だよ!逆!

「人間であり女である前に母親」なんだよ。

何故なら、親は自分の子どもに対して自分の人生を賭けた責任があるからである。この観点から言えば、母親と子どもは独立した存在ではない。子どもがひとり立ちするまでは自分の時間なんてなくて当然。そんな覚悟もなく母親になっちゃったんだろうね。ただ欲望に任せてエッチしてたら、できちゃったってところじゃないの?(笑)それでも、一応は体面上は母親として子どもの世話をしてるから今のところいいけど、いつも言うように、自分の欠点は拡大して子に伝わるから、次世代には産み捨てするような母親が出て来るんじゃない?たまにいるみたいだけど( ̄~ ̄)ξ

そもそも、「母親である前にひとりの人間であり女である。」という言葉は周りの人が、苦労している姿を見て言ってくれるもの。自分で言ってどうするんだろうね?結局、子どもより自分が大切なんだよ。

今どきの奴らは精神が脆弱過ぎる。その上、気力も体力もない。だから、能力的に深い愛情を持ち得ない。本当に愛情が軽い。少し、子どもが自分の思い通りにならないと、ずっと手前でその問題を諦めてしまう。こんな連中は母親教室の類いに行ったところで、殆ど役に立たない。そこで教わったことを本当の意味では実践できないのである。そんな能力が決定的にない。

そもそも、家庭教育について言えば、方法論云々ではない。子どもがどのように育つのかは親の人間性に依るものである。ちゃんと親足り得る人は特別なことをしなくても子育てで必要なことは大概している。そうでない人間はどんなに踏ん張ろうとダメなのである。何故なら踏ん張るだけの気力も体力も持ち合わせてない上、何をどうしたらいいのか理解できないし、解ったとしても、それができない。もし、ここで踏ん張れるなら、ちゃんと親足り得る人なのである。

つまり、親たり得るのか否かは、子どもが生まれる前から既に決まっていて、子どもと共に親も成長するなんて、親たり得ない人間にはあり得ないことたのである。

しかし、少子化の折り、子どもが増えてもらいたいのだが、喩え、仮に子どもが増えるにしても、こんな親ばかりだから“MoNSTER”ばかりが増殖し、まさに映画“Dawn of the Dead”ばりの世の中になるしかない(笑)





♪ Rush “Test for Echo” (1996) ☆

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