テレビもねぇ 信号もねぇ 街灯もねぇ

  • もぐら
    2012年03月12日 01:38 visibility225

昨年の3月11日、地震に遭遇された方は
いったいどうやって様々な情報を手に入れていましたか?

Twitterよりも
インターネットよりも早く
的確に情報を伝えていたモノ

それはラジオでは
なかったかと思います


私は当時、千葉の端っこ市川市で仕事をしていました
お隣浦安の惨状は液状化の映像でご存知でしょうが
私のいた場所も埋め立て地の工業団地の中で
当然の様に液状化した地盤は不等に沈下をおこし
人工島とそうでない元々の岸壁を繋いでいた唯一の橋は
大きく段差ができて、通行ができない(脱出できない)状態でした
幸いに橋の人工島側には企業の自主防災消防署があり
消防隊員の皆さんのおかげで
津波到達予想時刻の16時30分の時点では
なんとか片側交互通行ができるまでになっていました。

ご存知の通り首都圏の交通機関は全てマヒ状態
首都高速道路始め放射状に延びる高速も
橋梁の安全確認のために全て通行止め

工事現場にいた私たち始め業者の数はおよそ70名
とりあえず自動車で埋め立て地を脱出し
それぞれの自宅へ来るまで帰宅を開始しました


その間、ラジオからは様々な情報がもたらされていました
都内では東京都の施設が開放されて
『帰宅困難者』の為に
毛布や飲み水、食料品が提供されているという事も

ただ、都心の道路を歩いている人々は時折繋がり辛い
携帯電話のモニターをのぞき込んでいるけど
ラジオを聴いているような人はあまりいませんでしたね

通常ならば車で1時間半あれば帰れる自宅にようやく
たどり着いたのは3月12日の未明4時30分頃でした

実はこの頃には川崎市内の停電もほぼ解消されていましたが
11日の22時くらいまでは暗闇で
電池の切れかけた携帯電話だけが情報源だった人も大勢いたのでは?

停電してしまえば、テレビもDVDも観られないんですよ
ノートパソコンだってずっと使っていられない



でも、ラジオはラジオ機能付き携帯電話はもちろん
iPodや極々普通の携帯ラジオや手回し式発電機付きラジオもあって
家庭用電源が確保されていなくても
刻一刻と情報を伝えてくれるのです。



それは地震発生直後だけでなく
震災後かなり長い間

ラジオがみんなの心を繋いでくれていた
そんな話が本になっています。

私も震災直後、予震に伴う津波情報を得るために
仕事中にこっそり携帯ラジオで作者の方がやっていた
放送を市川の工事が竣工するまでかかさず聴いていました







永遠に語りつぎたい
3.11の素敵な話



最近テレビやインターネットばかりで
ラジオを聴いていないあなた
非常持ち出し袋に入っている
携帯ラジオはちゃんと電池が交換されていますか?
手回し式充電ラジオも時々充電してあげないと
いざというときに使えないですよ

高校生の頃、ラジオの深夜放送を聞きながら
試験勉強をしていた世代の人も

そうでない人も

ラジオっていいですよ

因みに等々力競技場ではかわさきFMで実況中継が聴けますし

さいたまスタジアムではReds WAVEで各種情報が得られます



























































































chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。