ありがとう 村井さん!!

今日は悲しい内容になっていますがお許しください。






昨日、我々のチームスタッフの村井 ホベルト ケンさんが亡くなられました。






シーズンオフに心臓を患い、一時は心肺停止状態まで陥ったところからとりとめた命でしたが、回復に向かうための手術中に帰らぬ人となってしまいました。






他界する昨日まで、チームメンバー一同をはじめ、日本、ブラジルから彼が元気になることを多くの方が願っていただけに、彼が帰らぬ人となってしまったことが残念でしかたありません。






村井さんの死を通じて「人はいなくなってみて、初めてその人の存在の大きさを知る」と言うことを改めて強く感じました。






村井さんのクラブへのサポートが始まった2011年から約3年間の付き合い。






特に、昨シーズンは、村井さんには至るところでアドバイザーとして、また通訳として、初めて監督をする自分に対して大きな助けとなりました。






時々厳しい事を言われることもありましたが、それ以上にたくさん励ましてくれて、村井さんはチームのことを本当に愛してくれていました。






彼の訃報を聞いたその時から、色々な思い出が蘇るなかで、彼とはもう会えないのかと思うと本当に寂しい気持ちでいっぱいです。






それはきっと選手や他スタッフたちにとっても同じ。






今日、練習を始める前に皆とその悲しみをわけあい、ピッチの中央で黙とうをささげました。






そこには涙するものもいました。






そして我々チームメンバー以外にも、そうした思いをたくさんの方が抱いていることを知り、そんな偉大な村井さんと一緒に仕事ができたことを私は強く誇りに感じています。






村井さんは誰もが知る有名人でもないですし、公の場で注目されるような方ではなかったかもしれませんが、皆の見えないところで日本とブラジルのフットサルのために尽力されたものは、間違いなく大きな賞賛を受けるべきものでしょう。






村井さん本人から聞いた話ですが、村井さんは1995年に初めて日本に訪れ、その際にフットサルクリニックを府中で行ったそうです。






そして不思議なことに村井さんが亡くなる前に、最後にフットサルの活動をしたのが日本の府中のチーム。






志しなかばだったと思いますが、それも何かの縁だったのかもしれませんね。






昨シーズンが終わる前に村井さんとは時間を取って、シーズンの振り返りから来シーズンに向けての話、そしてお互いの将来の夢などを語り合いました。






彼が語ってくれた夢は、やはり・・・「フットサルで日本とブラジルのためにもっともっと仕事がしたい」と言うこと。






そして「いつか府中アスレティックFCの皆をブラジルに招待したい」と言うことでした。






本当に彼への感謝の気持ちは尽きません。






いつかではなく、近いうちに必ず村井さんのいるブラジルに挨拶に行こうと思います。






なので、その時に彼に良い報告ができるように、これからさらに日々フットサルに精進します!!






muito Obrigado Murai san!!





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