仲間とキック 心の病癒える
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品川区フットサル連盟
2016年02月13日 11:23 visibility773
2020東京パラリンピックを機に、発展を図る障害者スポーツ。その中で、取り残されたアスリートたちがいる。うつ病や統合失調症と闘う「精神障害者」の選手だ。身体や知的障害者のように国際的な団体や国際大会がなく、パラリンピック出場資格もない。国内でも活動の場はわずか。この危機に、日本で唯一の精神障害者スポーツの統括団体が立ち上がった。
【フットサル 精神障害者の国際大会開催へ】
「2人で呼吸を合わせて!」「ボールを持っている相手に近い選手が寄せて、逆サイドは絞って」
1月下旬に大阪府堺市であった男女混成の精神障害者のフットサル日本代表の強化合宿。全国からえりすぐりの12人が、汗を流していた。
彼らが目指すのは、今月27日、堺市である「世界初の精神障害者スポーツの国際大会」だ。日本、イタリア、ペルーが参加する。大会を実現させたのは、精神医療従事者らが13年に立ち上げたNPO法人「日本ソーシャルフットボール協会(JSFA)」。スポーツは、幻覚や気分が沈むなどの症状の改善に効果があると近年、医学会などで報告されており、体を動かす環境づくりに力を入れてきた。
代表合宿に招集された竹田智哉(28)は、小学校で無視されるいじめを受け、中学3年の頃から自分の体臭を他人が嫌がっていると感じ始め、登校がつらくなった。小学1年で始めたサッカーでは守備の裏へ飛び出すのが得意なFWで、推薦で高校に入学。しかし、1年の夏に不登校になり、退学。24歳で受診した精神科病院で社会不安障害や対人恐怖症と診断された。
2年前に精神障害者のフットサルチームに入った。「最初は、人が怖くて会話もできなかった」。ところが、週2回の練習を重ねると、仲間と会話が増え、人への恐怖心がなくなる。今ではアルバイトができ、同僚と笑い合う。近く、就職活動を始める予定だ。競技では昨年、全国大会に出場し、代表に選ばれた。「大会で明るいイメージを広げ、健常者との交流の場を広げたい。そのためにも地元開催の大会で優勝して盛り上げたい」と意気込む。
【少ない真剣勝負の場】
肢体に不自由のない精神障害者は、身体障害者スポーツには参加できない。一方、健常者と共にスポーツをする場も少ない。選手として真剣勝負を挑める公式の場はほとんどなかった。全国規模の大会が行われたのは、01年のバレーボールが初めて。しかし、他の競技は流れに続かなかった。
それから十数年。13年に精神障害者スポーツ初の団体としてJSFAが設立され、昨年10月に初めてフットサルの全国大会が行われた。ここ数年でフットサルチームは急増。今では全国で1500人以上が競技を楽しんでいる。
精神障害者スポーツの普及が、世界で最も早く進んだのはイタリアだ。1978年、精神科病院を廃止して入院をなくし、地域社会で共生するよう促す法律ができ、スポーツを楽しむ権利にも目が向けられた。96年にはサッカーの全国大会が始まり、競技活動に自治体から助成金が出ている。12年の時点で、全国に約80チーム、約1千人がサッカー活動をするようになった。障害のある人とない人の混成チームで争うリーグもある。
精神障害者のスポーツは、デンマークや英国でも行われていた。しかし、病院の外に出ることへの世の中の理解は得られず、国をまたぐ交流は乏しかった。13年、東京で初の国際シンポジウムが開かれて8カ国が参加。世界的な流れを作るためにも、スポーツの国際大会や国際団体が必要だとされ、今月の大阪での世界初のフットサル国際大会開催につながった。
日本の精神障害者数は推計で約320万人で、入院患者は約32万人。日本代表の奥田亘監督は「精神障害を持つ人を応援してもらえるよう、最後まで戦う姿勢を見せたい」。日本が始めた試みが、世界を変える一歩にもなる。(後藤太輔)
朝日新聞 2016年2月12日
「2人で呼吸を合わせて!」「ボールを持っている相手に近い選手が寄せて、逆サイドは絞って」
1月下旬に大阪府堺市であった男女混成の精神障害者のフットサル日本代表の強化合宿。全国からえりすぐりの12人が、汗を流していた。
彼らが目指すのは、今月27日、堺市である「世界初の精神障害者スポーツの国際大会」だ。日本、イタリア、ペルーが参加する。大会を実現させたのは、精神医療従事者らが13年に立ち上げたNPO法人「日本ソーシャルフットボール協会(JSFA)」。スポーツは、幻覚や気分が沈むなどの症状の改善に効果があると近年、医学会などで報告されており、体を動かす環境づくりに力を入れてきた。
代表合宿に招集された竹田智哉(28)は、小学校で無視されるいじめを受け、中学3年の頃から自分の体臭を他人が嫌がっていると感じ始め、登校がつらくなった。小学1年で始めたサッカーでは守備の裏へ飛び出すのが得意なFWで、推薦で高校に入学。しかし、1年の夏に不登校になり、退学。24歳で受診した精神科病院で社会不安障害や対人恐怖症と診断された。
2年前に精神障害者のフットサルチームに入った。「最初は、人が怖くて会話もできなかった」。ところが、週2回の練習を重ねると、仲間と会話が増え、人への恐怖心がなくなる。今ではアルバイトができ、同僚と笑い合う。近く、就職活動を始める予定だ。競技では昨年、全国大会に出場し、代表に選ばれた。「大会で明るいイメージを広げ、健常者との交流の場を広げたい。そのためにも地元開催の大会で優勝して盛り上げたい」と意気込む。
【少ない真剣勝負の場】
肢体に不自由のない精神障害者は、身体障害者スポーツには参加できない。一方、健常者と共にスポーツをする場も少ない。選手として真剣勝負を挑める公式の場はほとんどなかった。全国規模の大会が行われたのは、01年のバレーボールが初めて。しかし、他の競技は流れに続かなかった。
それから十数年。13年に精神障害者スポーツ初の団体としてJSFAが設立され、昨年10月に初めてフットサルの全国大会が行われた。ここ数年でフットサルチームは急増。今では全国で1500人以上が競技を楽しんでいる。
精神障害者スポーツの普及が、世界で最も早く進んだのはイタリアだ。1978年、精神科病院を廃止して入院をなくし、地域社会で共生するよう促す法律ができ、スポーツを楽しむ権利にも目が向けられた。96年にはサッカーの全国大会が始まり、競技活動に自治体から助成金が出ている。12年の時点で、全国に約80チーム、約1千人がサッカー活動をするようになった。障害のある人とない人の混成チームで争うリーグもある。
精神障害者のスポーツは、デンマークや英国でも行われていた。しかし、病院の外に出ることへの世の中の理解は得られず、国をまたぐ交流は乏しかった。13年、東京で初の国際シンポジウムが開かれて8カ国が参加。世界的な流れを作るためにも、スポーツの国際大会や国際団体が必要だとされ、今月の大阪での世界初のフットサル国際大会開催につながった。
日本の精神障害者数は推計で約320万人で、入院患者は約32万人。日本代表の奥田亘監督は「精神障害を持つ人を応援してもらえるよう、最後まで戦う姿勢を見せたい」。日本が始めた試みが、世界を変える一歩にもなる。(後藤太輔)
朝日新聞 2016年2月12日
竹原ピストル / よー、そこの若いの
とかく忘れてしまいがちだけど
とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば桜やらひまわりやらが
特別あからさまなだけで
季節を報せない花なんてないのさ
よー、そこの若いの
俺の言うことをきいてくれ
「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。」
よー、そこの若いの
君だけの花の咲かせ方で
君だけの花を咲かせたらいいさ
とかく忘れてしまいがちだけど
とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば芸能人やらスポーツ選手やらが
特別あからさまなだけで
必死じゃない大人なんていないのさ
よー、そこの若いの
こんな自分のままじゃいけないって
頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ
よー、そこの若いの
君だけの汗のかき方で
君だけの汗をかいたらいいさ
よー、そこの若いの
俺の言うことをきいてくれ
「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。」
よー、そこの若いの
君だけの花の咲かせ方で
君だけの花を咲かせたらいいさ
君だけの汗をかいたらいいさ
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- 事務局に通報しました。
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