日本サッカー50年「第一夜 世界との出会い」

  • susy
    2010年06月12日 11:05 visibility960

再放送ですが録画して観ました。


日記に書くつもりはまったくなかったのですが感動したので書いちゃいます。


 


それは1960年に始まった。


弱小チーム日本。


当時アジア最弱と呼ばれたフィリピンにも負けた。


その日本の改革を任されたのがデットマール・クラマー。


監督として欧州チャンピオンズカップを2度手にしている名監督だ。



 


当時日本代表の川渕チェアマンはこう語る。


「僕らが見たことも聞いたこともないような戦術を教えてくれると思った。


そしたらいきなりサイドキックの練習ですよ」


 


「相当ショックだったよね、なんで日本代表にこんな事教えるんだと。


そんなのは教えられなくても俺らはちゃんとできるよ。


かなりプライドを傷つけられたね」


 


「そしたら10mのインサイドキックパスが続かないんですよ、


ボールコントロールがまったくなってなかった。


今考えたら恐ろしいほど、恐ろしいほど僕らは下手くそだったね」


 


クラマーは常に「Genau(正確に)」と言い続けた。


どんなプレーにも最初に「Genau(正確に)」とつけて指導した。


クラマーは普通のプレーを100%正確に行うよう求めた。


 


クラマーは日本人についてこう語る。


「日本人は目で見て盗む。それを私はレントゲンの目と呼んだ。


物事を奥深く観察する力は日本人の才能です。


他の国で感じたことはありません」


 


 


そんな日本代表に伝説の男、釜本が加わる。



釜本の才能に惚れ込んだクラマーとチームメイトは釜本に徹底的な指導を行う。


 


丘の上で練習を行い釜本にロングパスをさせる。


パスの受け手はまったく動かない。


パスがずれればボールは丘を転がり落ちる。


落ちたボールを拾いに行くのはもちろん蹴った本人、釜本。


集中力と筋力、体力はこうして鍛えられた。


 


釜本のプレーは当時まだ遅かった。


ボールを持って振り向いてシュートを打つまでに「1,2,3」の時間がかかっていた。


クラマーは彼に宿題を出す


「欧州の選手は1,2でシュートを打つ。南米は1で打つ。お前も1,2で打てるようにしなさい」


釜本はドイツに行き本場のプレーを学ぶ。


8mmフィルムでお手本になる選手を探し、毎晩同じ試合を見続けた。


頭にイメージが焼きつくまで。


釜本は言う


「チームが勝っても自分が得点できなければ悔しい。


逆にチームが負けても自分が得点入れればうれしい。」


 


 


日本で釜本とコンビを組むのは100mを11秒台で走る杉山。


杉山とのコンビプレーを徹底的に練習した。


杉山の突破力を生かすために彼の前には誰も行かせない。


彼の前にスペースを作る。


杉山がボール持ったら釜本にパス。


ワンパターンではあるが徹底的に練習した。


 


これら血のにじむような練習が実を結ぶまで8年かかった。


 


1968年メキシコオリンピック。


初戦ナイジェリア戦、釜本のハットトリックで3対1の勝利。


その後ブラジル、スペイン相手に日本代表は無敗で予選リーグを突破した。


続くフランスとの準決勝でも釜本の2ゴールで勝利。


準決勝に進む。


 


 


準決勝、優勝チームに大敗して落ち込む日本代表。


クラマーが声をかける


「相手は強かった、日本を数段上回った。4位で終わっても日本は讃えられる。


でも3位になって銅メダルを取れば歴史を変えられる。


我々にはもうワンチャンス残されている。


我々のゲームをやって来い。我々は出来る!!やって来い!!」


 


選手達は奮起し地元メキシコとの試合に挑む。


杉山-釜本ラインが活躍し釜本が2得点。


 


後半大声援を得てメキシコが巻き返しに出る。


メキシコの猛攻に日本はハンドでPKを与えてしまう。


日本最大のピンチ。


岡野「あれが入っていたら終わりでしたよ」


 


しかしキーパーが止める。


日本の必死の守りに徐々にメキシコがあせり始める。


観客席からはイスが投げ込まれピッチがイスで埋まっていく。


攻撃に出るだけのスタミナは日本に残ってなかった。


日本はひたすら守り続けた。


そして信じられないことが起きた。


メキシコの大観衆が日本に声援を送り始めたのだ。


「ヤーポン、ヤーポン、ヤーポン」


 


試合終了。


日本銅メダル。


連戦連敗の惨めな時代から8年後の快挙だった。


そして釜本は大会得点王に輝いた。


 


クラマーはこう振り返る


「試合終了後、選手達にはもう一滴の力も残ってないと言う感じでした。


勝った喜びよりもとにかく疲れ果てていました。


スタッフは毛布に包まった選手達に味噌汁を配り元気づけていました。」


その姿をみて何を感じましたか?


クラマー


「喜びです。こんな喜びは私の長いサッカー人生でも味わったことありません。


私はこれまで多くのチームを指導してきましたが、


あんなに全力を出し切ったチームを見たことありません。


 


それがメキシコで見た光景でした。」


 


 


彼らは持っている全てを出し切った。


 


















































































































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