指揮官の経験
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soultrans
2008年07月27日 03:43 visibility65
こないだ、戦略についての本を読んだから、こういうことを思うんだろうけど。。
実は日本に一番足りないのは監督力だと思った。
それは監督個人の力ではなく、日本の監督の平均的なレベルというのだろうか、
そういうものが、世界に大きく後れをとっている、と感じた。
監督によって選手が変わるというのであれば、外国人の監督を呼んでくればいい、
ということではなくて(当然外国人の監督でだめな監督もいるけど)、
サッカーのトレンド、つまり個人能力ではない部分、おもに戦略のトレンドは、
監督しかコントロールできないから、というのがその理由だ。
監督が遅れていれば、チームも遅れる。チームが遅れれば、それだけ選手が
新しいサッカーに触れる機会が減る。
情報があれば採用できるなら、今これだけ世界各地から情報があつまる時代に、
なぜ新しい情報を取り込めないのか。それはそこに重要な情報があることに気付かない
人たちが日本の指導層に多いからではないか。
だとすれば、日本人選手が海外志向を持つように、
日本人監督も海外志向を持つべきではないだろうか。
監督生命は、選手生命よりはるかに長い。そして体よりも頭を使って考えるのが多い仕事だ。それこそ、技術以前に必要なのは経験。経験は、より高いところでこそ、その伸び白が増える。
でもって、日本の監督業と言えば、基本的に選手である人が当然なるものというイメージが強いが、海外には昔からプレーヤーでない監督、それも有名な監督もいる。監督やコーチを育成するための大学もある(きちんとした学位として認可される大学で)。海外に及んでいないのは、選手の技量だけではなく、監督もしかりなのだ。
そして、なぜ海外に行かないのか、を考えれば、たぶん一番大きいのは、言語力だろう。言語力さえあれば、海外でなんだってできるはずだ。モウリーニョは体育教師だったけど、英語を話せることで、通訳になり、コーチになり、監督になった。選手の経験は(たしか)ない。もしモウリーニョが日本代表監督をしたいとか本気で言ってくれたら、協会は絶対なってもらうだろう。でも、日本人でそういう人は、今のままでは絶対に現れないし、日本人監督が海外のクラブチームを指揮するような時代が来なければ、日本サッカーの指導者の未来は訪れない。
かといって、日本でコーチング資格や監督資格の大学とか作っても無意味だ。サッカーの潮流は日本にはない。ITやビジネスの中心が常にアメリカであるのと同じく、戦術におけるサッカーの中心はユーロ圏だし、個人技術におけるサッカーの潮流は、南米にある。情報は収集できる世の中になったが、それ以上にリアルに接することがより重要になった。選手が海外で得られる経験が大きいのであれば、監督が行っても、自身にとっても日本サッカーにとっても、有益にならないはずがないと思う。
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