スポーツ考 3

余談の続きである。


 


集団を集団たらしめているのは方向・意志なのである。地位や立場、資産、才能などは、集団を損なう要因にほとんどならない。
元殺人犯だろうと、資産数千億円のお坊ちゃんだろうとかまわないのである。どんなものを抱えていても良いし、どこに立っていても良い。


向いている方向が同じなら、集団として機能する。必要なのは理念=意志なのである。


 


そこにぶれがあると集団としてまとまらない。
言っている者がやっていることと違えば、自ずとチームは不満を内包することになる。


 


情の部分とチーム運営を分けるのは、チームの私物化を防ぐためである。
組織はどんなものでも公共のものである。社会が誰のものでもないことと同じである。
わが子と言えど、親の私物ではないことに通じている。


 


チーム員から会費を取っているのはなぜか?
費用をまかなうと共に、チーム運営に責任を持たせるためではないのか?


 


マネージメントとプレイは別のものである。
マネージメントで負ったものは、マネージメントで返されるべきものである。
役割分担もその一つで、監督・代表持ち回り制も、考慮に入れるべきだろう。
用具の保管も然りである。



専制を主とした組織から、合議制を含む民主制の組織に移ったのは何故か?
弱肉強食の原始の時代から文明の時代に進歩したのは何故か?
種の繁栄のためである。


弱者を生かすことが底辺を広げ、多様性を生み、繁栄を築く要因となったのである。


今日人間が繁栄を築いたのは、文明を持ったからである。
今日野球が繁栄したのも、老いも若いも上手いも下手も、こぞって野球をしたからである。
今日野球が衰退し始めたのは、気軽に参加できず、底辺が縮小したからである。
やってみなくては面白いかどうかは分からない。興味が薄くなるのも当然である。


 


今の時代は原始の時代ではない。弱肉強食のみを是とするなら一切の行政サービスを享受する資格はない。


平等や民主主義を手に入れるため、我々の先輩達の途方もない血が流された。その血の上に、今日の我々はのうのうと平和を享受しているのである。
ある日突然為政者から意味なく死刑を宣告される事態があるか?
ある日突然、意味なく一切の財産を奪われる事態があるか?
ある日突然、意味なく日本から追い出される事態があるか?
平等によって平和がもたらされ、怯えることなく生きていけるのである。


 


のんきにスポーツなどやっていられるのである。


 


列強各国が植民地をぶん取り合う戦時中であれば、スポーツもくそもない。弱肉強食とはそういう意味だ。


 


医療補助も警察機構も学校制度も、大局的に見れば弱者を救済するためのものである。
生きる権利、スポーツをする権利は平等である。だがそれは、結果の平等を意味しない。
それは機会の平等である。グラウンドに立つ権利の平等である。
会費を払い、交通費をかけ、休みをつぶしてそこに来るのは、グラウンドに立つためである。
その機会は平等に与えられるべきものだ。
マネージメントで苦労した部分は、マネージメントで報われるべきものだ。
出場機会に差をつける類のものではない。
銀行員が職務に励んだからといって、銀行の金を頂いていい訳ではない。
それは棒給のアップや昇格で報われるべきものだ。


 


ただしそこで活躍できるかどうかは、結果は、その人しだいであろう。
賞賛という勝利を望むなら、切磋琢磨してそれを勝ち取ればいい。
スタートラインにつけなければ、競争の仕様がない。
スタートラインにつくために競争に勝ち抜くことが必要と言うなら、その明確な基準は何であろうか? それを判断する公平な第三者は誰であろうか?
そんなものはない。
草野球を例にだせば、草野球チームにファームはない。一軍に上げる明確な基準はない。
監督の独断で優劣を決めるのか? 選手は監督の私物ではない。チームも監督の私物ではない。チーム運営を手伝う手伝わないと言うのと、試合に出す出さないというのは、まったく別の話だ。


だから理念をたて、それに基づく明確な基準を示し、それに基づいて組織を運営する必要がある。
よって、組織運営とプレイは分ける必要がある。


 


忘備録 A-3

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