スポーツ考 4
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投手挑戦日記
2011年07月17日 00:01 visibility101
ラストの余談である。
民主主義の定着を柱として、文明煌びやかなりし現代において、何故スポーツだけが旧態依然とした運用システムを保持しているのか?
野球に限らず団体スポーツが監督→選手のトップダウンで、ゲーム進行に当たるのは何故か?
それは一にも二にも、判断から指示へのスピードのためである。
刻一刻と変化する試合状況において、一々首脳会議などやっていては試合は終わってしまうのである。
原発が吹っ飛んだ後に、脱原発の指示を出しても意味がないのと同じだ。
しかし、他に案がないから続けている。では無能な官僚と同じだ。
我々は英知を持った文明人である。止揚を求め進歩の彼岸にたどり着く実績を持っている。
アメフト、と言うとバカにされるのでアメリカンフットボールまたはフットボールと呼ぶが、そのフットボールにドラゴンフライと言う戦術がある。
通常一人のクォーターバックを二人以上並べるもので、どこからパスが出るか分からないのでディフェンスは大いに混乱する。
クォーターバックについて言えば、通常投手と和訳されるが、作戦立案・選択から陣形指示まで行うので、その本質は捕手、いや監督(フットボールではヘッドコーチ!)に近い。
つまりフィールド内に複数の監督が存在するのと同じで、戦術は変幻自在に展開し、ボール保持者一点からのみ始まる旧態戦術を大転換させた。
では複数の頭をどうやって整合させたのか?
事前にあらゆるケースを想定して順序を決めておいたのだ。
では想定以外の事態が起きたら?
ボールに最も近いものが優先され、その後の展開を指示する。
近年は考える野球が発達してきた。選手個々がある程度状況判断して監督の指示を仰がないで選択する。
とはいえ、まだまだトップダウンの形態の範疇のシステムだ。
トップダウンの運用システムには重大な欠点もある。
一人の監督では同時に二つ以上の指示を出せない。(ここに旧式運用の限界があることを指摘しておく)
アイデアを更に進めて、そのときの状況で選手が監督に指示を出すルートを作っておく。
対戦選手の状態は、その近くの選手が把握しやすい。そこから作戦を提案するのである。
双方向の指示系統。新しい試合運用システムが開発されるかもしれない。
理念に添って経験者も初心者も均等に出場する。勝たなくても良いので、それぞれがそれぞれのペースで上達を図る。時には素人が監督として指示を出す。
選手としても監督としてもコーチとしても、同時に経験を増やしていく。
ひょっとすると、新しいタイプの選手と、新しいタイプのチームが誕生するかもしれない。
成長土壌が固定された形で運営されるので、固定された選手・チームが生産されるのである。
違う土壌なら違う結果が出るのは、容易に想像される。
もしその可能性がまったくないものだとするなら、永久に両投げ両打ちなどという選手は生まれないだろう。
しかし、公式戦において左右で投げ、二回を一失点に抑え勝利に貢献した私の存在は一体何を意味するのだろうか?
可能性はいつでもどこでもある。突き進む意志があるかどうかだ。
組織論についてはファンタジーの部分もあるが、公式戦の部分は事実である。
常識や因習・慣習までさかのぼって考えてみる。
お前ら文明人なんだろう、それくらいやれねーでどうする。未来に向かう子供たちが見ているんだぞ。
と、黒い私の本性がつぶやくのである。
余談終わる。
追記
誤解を避けるため、訂正文を載せるようにアドバイスされた。なるほどその通りと思うが、あえてやめることにした。誤解、曲解を含めてその人の評価なのだ。
真正面から受け止めて、精進につなげることにする。
忘備録 A-4
- 事務局に通報しました。
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