
蹴球日記 その50
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club-ren
2009年07月02日 14:43 visibility39
Jリーグのゴールでこれまでとても印象に残っているゴールが3つあります[e284]
まず�つ目[e2]
アントラーズのレオナルド[e77]
ペナルティエリアでディフェンスに囲まれながらダンスをするようにトラップをしてシュート。
あんな華麗なプレーは海外[e219]を観てもなかなかお目にかかれません[e2]
そして�つ目
愛してやまないピクシーのゴール[e420]
ペナルティエリアを真横にドリブルをして派手なフェイントをしていないのにDF、GKを次々に倒してシュート[e77]
見事にみんな引きつけられバタバタと倒れていきましたね[e284]
あんなドリブル出来たらさぞ快感でしょう[e814]
そして�つ目は今回のニックネームのモデルとなったガンバ大阪時代のエムボマ[e420]
あの躍動感あふれるトラップからのボレーシュート[e284]
それは草原で狩りをする豹のような感じで踊るようにゴールを決めた[e420]
エムボマが活躍した時期は割と短い…
97年にJの得点王にもなったときが絶頂期だったでしょうか[e77]
それとアフリカのMVPになった2000年[e284]
彼が輝いた時期はこの�年に限られるといってもいいでしょう。
それ以外はシーズン中のゴールも少なく怪我に悩まされている時代も多かった。
その栄光だけを知る自分はその選手がずっと輝いてきたように錯覚していたがしかし、決してそうではない。
その時間はほんの一瞬であることが多い。
むしろずっと輝き続ける選手などいない……とさえ言える。
エムボマは日本とこれほど深い関係になるとは想像もしていなかっただろう。
ストイコビッチもレオナルドも然り。
ストイコビッチは半年でまたヨーロッパに帰るつもりだったと言ってましたし。
人生に輝きをもたらすタイミングは限られている。
その一瞬と日本という場が反応して彼らはこの国を深く愛すことになる。
“日本では本当にたくさんの思い出がある。バックに詰めて帰りたい”
とエムボマは言った。
そして彼は帰国前にW杯の際にお世話になった中津江村によって帰っていった。
彼がバックに詰めたものはゴールや栄光だけではなかったと思う[e420]
ということで今回はエドゥ改めエムボマに…
『ン』をエムボマンでこれからも宜しくお願い致します[e466][e466][e466]
んでは[e463]
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- 事務局に通報しました。
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