
5858:長嶋名誉監督の恩師、逝去
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suさん
2010年07月20日 10:16 visibility498
東京六大学野球リーグ・立大の元監督で、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の恩師に当たる砂押邦信さんが18日に死去していたことが19日、分かりました。87歳でした。最近まで、ご健在とはしりませんでした。お二人とも高齢になられたので、歳の差が約まって思えるのは不思議です。
【スポーツ報知】 昭和の野球界を彩った“鬼の砂押”が天国に旅立った。砂押さんは水戸商を経て、41年に立大入学。主将も務めた。50年には立大監督に就任。スパルタ指導で、53年春には20年ぶりのリーグ制覇に導き、立大黄金時代の礎を築き上げた。
54年春には長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾の有望な“三羽ガラス”が入部すると、午後8時から内野陣を集めて千本ノックを行った。「基本技の大切さを肌で感じさせたい」との思いから、石灰の白い粉だけが頼りのボールを体で受け止めさせる猛特訓は“月夜の千本ノック”と呼ばれ、伝説となった。ただ、あまりに厳しすぎる指導から、55年には部員からの監督排斥事件が起き、退任を余儀なくされた。
一方で、いち早くメジャーからの技術導入も試みるなど、革新的な指導者でもあった。米国の技術書を翻訳し、高価な映写機を合宿所に持ち込みながら、フォームの研究に生かしたという。ミスターに対しても、ヤンキースのジョー・ディマジオの連続写真を見せつつ、打撃術を伝授した。
【読売新聞】
3か月前、血尿が出て入院。死期が近いと感じた家族は長嶋さんに知らせることを考えたが、長嶋さん自身の体調と、他の入院患者への影響などを考え、知らせなかった。87歳での死去。理恵さんは、「父はいつも、『シゲは、シゲは』と長嶋さんのことを気遣っていた。死ぬ前に、一度だけでも会わせてあげたかった」と悔やんだ。(下山田郁夫)
長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督「立教に入学したころ、練習終了後に毎晩、ノックを受け、バットを振らされたことは忘れられません。つらい練習でしたが、そのおかげで私の野球は基礎が固まり、プロでやっていく自信がつきました。私の野球人生において、砂押監督は、とても大きな師でした。訃報(ふほう)に触れ、ただただ悲しく、寂しくてなりません。ご冥福を心より、お祈りいたします」
ご冥福をお祈りします。
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