挨拶挨拶、そして、お姉ちゃんからの手紙

1年ちょっとぶりに、ブログ書きます。次回からは、テニスのこと、書きますので・・・

ライブドアブログに、色々書くつもりですので、寄ってみてください。

 

9月13日の職場関係の東北親善大会には、スクールのクラスマッチ以外の大会に出たことは無く、デビュー戦でしたが、納骨などがあり、参加は、無理かもしれません。

 

 

<最前列に座っていながら耳が少し悪いため葬儀場で聞くことのできなかった、わが妻へ>

 

喪主挨拶

 

本日は、お暑い中、ご会葬いただきまして、誠に、ありがとうございます。

少々、お時間をいただき、ご挨拶いたします。

 

母、和子(カヂ子)は、昭和6年、信一・ヨネ、両親ともに教職 学校の先生の間に、5人兄弟の長女として二戸の福岡に生まれました。

自身も、久慈農林高校で家庭科の教職に就き、いけばななども、たしなみながら、過ごしていた時期に、夫となる尚(たかし)の父、利直(としなお)に気に入られ、久慈の、とある病院の副院長であった、尚と結婚しました。

 

その後、父、尚が久慈の病院をやめ、豪雪地帯の西和賀湯田川尻に移り住みました。

2メートルも、つもる雪かきを毎日し、私、誠と、弟、達を、もうけました。

その後も雪かきを続け、体を鍛えたのが、回復力につながったのだと思います。

 

酒好きの父のため、給料は酒と、まわりの飲み仲間の飲み代に、ほとんど消える中、給料日には、来るのは借金取りだけだったといいます。

 

そんな中、カヂ子は、生け花の先生や化粧品のセールスから、パンツ(下着)縫いや小物の内職、土方(どかた)の穴掘りまで、やりました。

 

生活や人間関係の苦しいときに、西和賀の皆さんには大変、お世話になりました。

 

父が、酒が原因で、病院に入院の際には、あばれる父をなんとか、連れてってくれたカヂ子の御兄弟には本当に、お世話になりました、人の助け合いの大切さを知りました。

 

父が入院すると、公務員であったこともあり、お金が、貯まり出し、子供たちが盛岡に学校に出てからは、ソーイングの仕事や掃除婦をし、お金を増やし、私ら兄弟、大学に入学したときには、喜んでくれました。

色んな仕事に対する偏見を、なくしてくれたのも母でした。

 

非常に花好きの母でした。

 

その後、初孫が、私のところに生まれ、、色々迷惑かけたりしましたが、その際には、尚の御兄弟にはご迷惑をかけましたが、寛容な心で対応していただき、感謝しております。

 

2人目の孫の出産まえ、20年くらい前の4月、「北上の土地の畑仕事してくる」と言って出たまま、小脳出血で倒れ、入院しましたが、数か月で、退院し回復しました。

 

私が山岸に家を建てた際、尚のすぐ下の妹、つね子さんが遊びに来て、うちの大きめの風呂に2人で入り、楽しんでいたのを思い出します。

 

また、弟のところに、3人目で初めて男の子が生まれ、とても喜び、安心していたことを覚えています。

 

2007年、脳梗塞で医大入院し、その後退院、一人で緑が丘に住んでいましたが、調子が悪くなり、2008年4月から半年くらい山岸で私らと暮らしましたが、その後、みんなの家にお世話になったり、南昌病院に入院後、施設に移り、志和荘に長くお世話になっていました。

 

私の下の子が、去年、弓道の北奥羽の大会個人戦(女子)で優勝したと伝えた時には、普段、動きが、あまり、なかった手で、机をたたいて、笑顔で、とても喜んでくれました。

 

この7月28日、上の子が、東京から夏休みで帰ってきたので、志和荘へ、おばあちゃんを訪ねていくと、その日の朝までは食べていたが、急に食べれなくなり、車いすのおばあちゃんは、眠ったままで、いくら起こそうとしても、たたいても、大声かけても、起きませんでした。

 

夕方までには、目をさますでしょうとのことで、昼を食べ、夕方、会いに行った時には、目は開いていましたが、あまり、よくわからない状態になっており、それでも上の子が3分くらい手を握っていると、やっと、わかったようで、顔いっぱいに喜びの表情を表してくれました。

 

今、かざってる写真は、夫の尚が、亡くなって少ししてから、自分が死んだときに飾ってほしい写真を、約20年前に、とっており、必ず使うように言われてましたが、緑が丘に探しに行ったら、その初孫が、おばあちゃんの家で、すぐに、見つけてくれましたよ。

 

29日には、さらに状態が低下し、酸素と点滴、30日午前中に南昌病院に転院し、一時、血圧 50まで下がるも、気切後、もちなおし、意識は、もう無かったのですが、会いたい親戚に会って、安心したのか、

 

その後、急変し、慢性腎不全のため、

7月30日、夜、8時24分、永眠しました。

 

 

もう、起こさないから、ゆっくり、眠ってください。

 

 

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お姉ちゃんからの手紙

 

 

お父さんが、一番、辛かったのに

 

 

 泣いてしまって、ごめんなさい

 

色んな気づかいを、ありがとう

 

お医者さんにも、看護婦さんにも、なれないけど、

私は、この家で、お父さんとお母さんの子として

生まれて本当によかったと思っています

 

お父さん、お母さんのこと、考えたら岩手に

 戻ってきた方が良いに決まっているのに、

自分を優先してしまい、東京に居続けて

   本当に ごめんね

 

私は、お仕事では、まとまったお金を

 稼いだりできないけど、それでも、お父さんと

 お母さんに会いに行くお金を、プライドを持って

  どんな仕事でもがんばろうと思った

 

お父さんがお話してたのが忘れられません

 

どうすれば恩返しになるのか、おばあちゃんも安心できるのか

       わからないけど、目の前にあることひとつずつ

       一生懸命がんばろうと思います

 

 自己満足にしかならないけど

おばあちゃんの、お花と一緒に

 手紙を入れてもらいました

 

誰かが先にいなくなってしまうのは

 昔からすごく悲しくて嫌なんだけれども

 

その分、がんばろうと思う

 

 だけどお父さんとお母さんと都は

     がんばりすぎないで下さい

 

私は何もできないかもしれないし

   がんばらなきゃいけない時もあると思うけど

 

無理はして欲しくないと思います

 

 

 

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カヂ子の里、西和賀が、困っています

<岩手県西和賀町(にしわがまち)、土砂崩れ被害への緊急寄付募集>

応援してくださる方、ふるさと納税・ふるさとチョイス、お願いします。

 

西和賀町の税務課には、

喪主のイケちゃんの親友の、里(さと)ちゃんが、がんばっていますので、

「イケちゃんから聞いた、里ちゃんも頑張ってください」と声をかけていただければ幸いです。

 

 

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