ナゴヤ球場の思い出 その2(後編)

 あの当時、応援団は内野1塁側に公認の私設応援団、
(74年の優勝パレードで、オープンカーに乗っていたの

で、『公認」なのでしょう)、がいて、外野にはライトの

守備位置の後ろと右中間、そしてレフトスタンドにもいま

した。
 1塁内野の応援団は敵地にも遠征するし、ドラゴンズ

が勝っても負けても、ひたすら応援するというスタンス

で、それはそれですごいと思いましたが、

私たちはそこまではできない。

 ふがいない試合が続いたりすると、球場には行くが、

応援を止めてみたり、たしか、ヤクルト戦で、

1回表に12点入れられたときは、すぐにみんなで帰り

ましたね。
 私たちは、そんなふうにやりたい放題、気ままに

応援を楽しんでいたのです。ライトの守備位置のすぐ

後ろで、笛や太鼓、○○コールで騒いでいたので、

相手チームの右翼手は、さぞかし、うっとうしかった

でしょうね。
 そんなある日のことです。ドラゴンズの攻撃中に、

私たちの仲間のだれかが、相手チームの右翼手を

からかったのです。よくあることです。
 すると、その選手△△は、後ろこそ振り向きは

しませんでしたが、(さすがに試合中だもんね)、

全身を使って我々に応えてくれたのです。
 おとはんが、メガホン(もちろんビールの紙コップの

底を抜いたヤツ)で、「△△!もっと右に寄れー!」と

叫ぶと、本当に数歩右に守備位置を変えたりして・・・
ライトスタンドの私たちは、大喝采でした。
 そのあと、その△△が打席に立つと、ライトスタンド

から時ならぬ応援の大歓声が沸き起こり、さらには、

△△コールまで始まったのです。
 そうして、その△△が我々の応援!?に応えて、

ライト前にクリーンヒット。ライトスタンドは大盛り上がり、

まるでドラが勝ったみたい! オイ、オイ!
 レフトスタンドや内野の観客たちはびっくりしたでしょうね。
 なお、この△△は、けっしてふざけた人ではなく、
プレーヤー、そしてマネージャーとして、立派な野球人

ですよ。
 30年も昔のことで、もう時効だとは思いますが、

名前は伏せておきましょう。
 さて、思い出話はこれくらいにして、いよいよあさって

から、中日ドラゴンズが日本一であることを確認する

シリーズが、始まります。

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