中日スタヂアムの思い出

 おとはんが中日スタヂアムへ初めて行ったのは、ドラファンとしてではありませんでした。それは1968年、名古屋に来たばかりで、プロ野球にも興味はなく、アルバイトとしてでした。

 当時ナイターは6時30分開始で、4時ごろから仕事が始まりました。

まず、球場周辺の不法駐車対策として、木製の馬(脚立のようなもの)を置いてまわります。

そして、試合が始まると内野スタンドの中段に座っているだけです。ファールボールが飛び込んでくると笛を吹いてお客さんに注意を促し、ボールを回収するのです。でも、ボールはめったに飛んでこず、ひまでした。

 今思うと、いいバイトじゃんと思うけど、当時は退屈で、客の入りも少なく、客層も今とはぜんぜん違っていたように思います。地方の競馬場とか、競艇場のような、と言ったらいいのでしょうか。

 しかし、世の中、甘くはありません。

 この年、ドラゴンズは、まさにドベゴンズ?成績低迷で、シーズン途中で監督交代、

全球団に負け越しという惨めな状態。

 試合終了が近くなると、(当然、負けている)、私たちバイトは全員ダッグアウトの上に並ばせられるのです。切れたファンが物を投げたりするのを押さえるためらしい。ワシらは人間の盾か!

 まだある、試合終了後、選手通用口で怒り狂うファンたちから選手を体を張って守らねばならんのでした。(おおげさな!)

この6年後、与那嶺監督率いるドラが、20年ぶりのリーグ優勝、

翌年から、ナゴヤ球場となるのでした。

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