お疲れ様 島野育夫さんありがとう!どうぞ安らかにおやすみください
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そらまめ
2007年12月16日 13:54 visibility1938
マイヤキュウのfigueさんもアップしておられますが、阪神ファンの1人として、この話題に触れないわけにはいきません。
2006年の阪神二軍監督のあと、2007年には総合特命コーチ、そして来年は阪神タイガース球団アドバイザーに就任することが決まっていた、島野育夫さんが急逝された。
最近では、阪神タイガースSDでもある、星野仙一現日本代表監督の名参謀として、その存在感は多大なものがあった方だった。
2軍監督だった2006年中に体調を崩され、入退院を繰り返すなど、その体調が心配されていたが、今月
から容体が悪化し、昨夜15日午後、胃がんで逝去されたそうだ。
栃木県出身で、作新学院高校時代は八木沢、高山らとチームメイト。
1962年には、春夏の甲子園大会を連覇、ノンプロの明電舎を経て、中日に入団。
俊足好守強肩の外野手として頭角を現した。
その実力を現したのは、1969年に南海へ移籍した頃から。
1973年にはシーズン61盗塁、福本がいなかったら盗塁王だった。
さらに、1973年〜1975年にはダイヤモンドグラブ賞を受賞。
1976年には、当時超大型トレード(江夏・望月⇔江本・長谷川・池内・島野)と騒がれ阪神に入団。
控え外野手ながら1980年までプレーし引退。
その後は、阪神・中日で、指導者としてコーチを歴任した。
1982年8月、阪神のコーチ時代、当時の大洋戦で柴田コーチとともに審判の判定に激怒し、暴行、無期限出場停止処分を下された一件は今でも語り草である。
1986年からは、中日のコーチに、1987年からは大親友、星野監督の参謀となった。
星野監督が退任した1992年に再び阪神コーチに復帰。
そして星野監督が1996年に中日監督に復帰すると、再び星野監督の参謀として中日コーチへ。
2002年にはその星野監督の阪神監督就任と共に、阪神に再び復帰。
2003年にはヘッドコーチとして星野阪神をリーグ優勝に導く名参謀を努めた。
コーチとしても高い手腕と鋭い指導力をもち、戦術に長け、その力を発揮し、星野仙一といえば島野育夫といわれるほどの名コンビであった。
63歳というまだまだ若い年齢。病魔を克服して、若虎たちをビシバシと鍛えて欲しかった。
2005年のシーズンオフ、ファン感謝デーの翌日に甲子園を訪ねたとき、ご夫妻で球場を出て、愛車でお帰りになる姿を拝見した。
その時に、気軽に笑顔でサインに応じてくれ、お話した思い出がある。
島野さんの逝去、本当に悲しく、辛いものがある。
島野さんの野球人生ほとんどは、選手として、指導者として現場のグランドにあった。
現場を離れ評論家の活動をしたのは1985年、あの年の1年間だけである。
過酷な現場の仕事を休むことなく続け、島野さんの体は病魔に蝕まれて行ったのかもしれない。
島野育夫さん、本当にありがとう。お疲れさまでした。
どうぞ、安らかにお休みください。
合掌
島野さんからいただいたサイン
島野育夫 現役18年
出場1466試合 3029打数 733安打 24本塁打 211打点 251盗塁 打率.242
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