安らかに、お疲れ様 加藤博一さん
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そらまめ
2008年01月21日 23:19 visibility72
既に、多くの方が日記に記されているが、あの、明るく、ユニークで面白いキャラクターの野球選手だった加藤博一さんが他界された。
肺癌と戦い、56歳の若さで逝ってしまった。
テスト生で西鉄ライオンズに入団し、プロ野球選手として花が咲いたのは、1976年に阪神タイガースに移籍してからだった。
西鉄時代3試合しか1軍の試合に出ていなかった男が、阪神でレギュラーに定着。
1979年、プロ入り初登板の江川卓投手から加藤さん自身もプロ入り後の初の本塁打を放った。
虎の江川キラーという名がついたこともあった。
1980年、打率.314で打率ベストテンの5位に入り、高橋慶彦選手と盗塁王争いも演じた。
1983年に横浜大洋ホエールズに移籍。
2番打者として、高木豊、屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成し、走りまくった。
ヒッティングマーチの蒲田行進曲は、彼のそのキャラクターを示しているのような曲だった。
1983年6月4日阪神戦、この試合は私も球場で観戦していたのだが、岡田彰布選手(現阪神監督)の左中間へのフライを追ってレフトの長崎選手と衝突した。
この時は大丈夫かなぁと心配したものだが、後々テレビで放送され、長崎選手の顔面と加藤さんの顔面がぶつかって、当時の「プロ野球珍プレー好プレー大賞」で「空中キッス」と呼ばれて大いに笑いを呼んだ。
ファンや選手に親しまれつつ、実に21年の現役生活を送った加藤さん。
引退後も、フジテレビ等で精力的に野球の楽しさを、その面白いキャラクターでファンに伝え、その人柄は抜群だったと思う。
現役を20年以上勤め、「リーグ優勝」を1度も経験しなかった史上初の選手でもあるという。
その足の速さのようにあまりにも速く、人生を駆け抜けた感じがしてならない。
加藤さんの通算記録。
出場試合1063 打数2321 安打628 本塁打23 打点176 盗塁169 犠打95 犠飛7 三振361 打率.271
記録よりもその存在に記憶の残るスイッチヒッター、加藤博一さん。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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